仕事と晩飯とその他

日記です。

メモ 選良意識の本当の怖さ。

選良意識ってのは要は階級社会を望んでいるってことなんですよ。階級に属しているってことに対する満足感。本当はなんの意味もないのに。階級でしかくくれない人間ってのは深いところで才能についての嫉妬や絶望がある。本人は気がついていないかもしれないけど。遺伝的なこととか環境とか出身とかにこだわるのは全部同じ。本当の意味での才能ってのは環境なんか関係ない。まして血液型とか星座とか。

ただ、才能が開花するためには環境は非常に重要です。金持ちは環境用意できるのに対して貧乏人はできない。だから貧乏人の子どもにどんなに才能があってもそれを輝かすことはできない。ていうより気がつかずに終わっちゃう場合とかも多いと思うんですよ。

金持ちが金持ちとして固定化される方向性に進んではいるが、金持ちが没落する仕組みも用意しておかないと、どんどん階級社会になっちゃう。いや、既にかなり明確に階級は生まれつつあると言う人も多い。

義務教育ってのは「社会に出たら役に立つ」から必要なのではなく、金持ちの子も貧乏人の子も同じスタートラインに並ぶために必要なんですよ。実際には義務教育の過程でも大きく差がついちゃってる。でも、差がつくことが問題なんじゃないんです。皆に機会を与えることが大事。差がついたって構わないんです。平等に機会を与えた結果が違ってもいいんです。

音楽とかスポーツとかは才能以前の問題として身体的な特徴が見受けられることもある。身体的特徴とかは地縁・血縁と結び付けられやすいです。確かに栄養しっかり取れる環境でないとスポーツはきついかも知れません。とは言ってもそれですら選良意識的なもので語られるほど偏っているわけではない。

選良意識は既得権益の確保にも熱心みたいで、まさにアンシャンレジーム。見た目が新しいとか古いとかではなく、考えの根本がそういう仕組みになってるわけです。

大体、子どもが跡を継ぎたがるような商売は外から見る以上にうまみがあるし、ろくなもんじゃないってことだと思うんですよ。政治家とか医者とか。最近だと芸能人とかも世襲制ですね。歌舞伎とかの話じゃなくてバラエティタレントみたいな人とかワイド劇場系の人とか。

で、そんなんで世の中、空席がなくなってくんですよ。まずいんじゃないかと思ってますけど、それに対して自分ができることは一つしかないと思っています。そろそろ本気で取り組まねば。