仕事と晩飯とその他

日記です。

経済本は流行っている。

本屋の新刊コーナーにはビジネスとも自己啓発ともつかない金儲けの本やら手帳やらがあふれているが、正直な気持ちとして金儲けとエロはアンダーグラウンドなものじゃなかったんだろうか。昨今の金儲け肯定風潮は「なんでもかんでも自己肯定」&「小規模な悪の告白という露悪主義」を前提に膨れ上がっているように思う。

そりゃ、うまいことやって適当にお金儲けできたらそれに越したことは無いとは思うが、どうしてだろう、別にピューリタン清教徒)やイスラム的な発想ではないのだが「不労所得」って貧乏人にとってはなんかもっと「恥ずかしながら」ってモノだったような気がする。いや、嬉しかったのかな。ほんの少しの増減でも一喜一憂するようなそんなものだった気もする。つまり日常ではないわけですよ。本当の金持ちは昔からずっと不労所得について日常的なものとして何の抵抗もなく受け止めていて、それこそが既得権だったわけじゃないですか。持たざるものは不労所得という言葉に羨望と同時に怒りも感じていたんじゃないかと。そういう既得権を打ち壊すべく色んなことに取り組んでいたわけじゃないですか。もちろん、それを条件闘争と切って捨てるヒトも多数いたわけですが(おっと、ちょっと左翼が入ってますね)、なんていうかなあ、持てるものの価値観の破壊ってことは常に必要とされているわけですよ、そうでなければ持たざるものが持てるものに入れ替わったところで結局何も変わらないってことは歴史が証明してしまっているわけで。

先日のハリケーンではアメリカの貧しさに目を奪われたが、誰かが豊かになるということは誰かが貧しくなっているということなのだということを感じたヒトも多いんじゃないかなあ。

なんつうかなあ、本屋にあふれている経済本を見ているとなんだか少し不快すら感じつつあるんです。別にだからと言ってオレが清貧なわけではないのですが。時代の背景の中で表れた「太った豚より痩せたソクラテスになれ」って言葉は『金持ち父さん貧乏父さん』を読んで老後のキャッシュフローに思いを馳せる団塊の世代にはどう響くのだろうか。

で、『金持ち父さん貧乏父さん』では持たざるものの改善策として「本を出す」ということがチロッとだけ触れられている。出版は意外と貧乏人の味方的な事業でもあるのだが、昨今の経済本が金持ちしか応援していないように見えるんでやっかんでんだろうね、オレは。