仕事と晩飯とその他

日記です。

クチコミ・マーケティングの憂鬱

オンライン書店の上位はバズ・マーケティング(小銭をばらまいてヨイショしてもらうこと)の結晶だそうだ。

「お宅のジャンルで影響力のあるアルファブロガーに知り合いはいないですか(え、いないの? 何の努力もしてないんじゃないの)?」

おい、顔に書いてあるぞ!

クチコミ自体の魅力はよくわかるし、それこそが売るための努力なんだと言われるとそうなんだ程度に感心はする。でも、それが「当たり前」だとか「著者の努力(著者が金出してる)」とか言われると、違うんじゃねえのって気がする。オレがそこまで割り切れないだけかもしれない。でもね、そこに踏み出す時に忸怩たる思いはなかったのかな。そうでもしないと売るのは大変だということは承知のうえで、それでもあえて出版社の人間には「おすすめの言葉を金で買うことに迷いはないの?」と聞きたい。出版=売名行為でしかない著者はさ、内容ではなく売れてる数でしか本の良し悪しを判断できない著者はさ、そりゃあなんだっていいよ、売れたら。でもさ、本当にそれでいいのかなあ。中にはそうじゃない著者だっているんじゃないだろうか。

ネットではネガティブな意見が急速に減ったように思う。昔からヒトは本を選ぶのに迷い、誰かの意見を求めていた。一昔前の「書評」は間違いなくその役割を担っていた。その頃から「書評を買う」ような話がなかったとは思わない。だが、ネットは「評判を買う」ことを多数派の意見に粉飾するための手段としてとてもよくできている。よく出来過ぎている。マーケティングという概念の限界も見事に盛り込んでいる。マーケティングはとどのつまり「売るための手法」であって「批評したり判断するための手法」ではない。ネットは本来、マーケティングの対極とも言っていい批評や判断のためのツールとしても有効であるはずだ。そういう取組が今までなされなかったとは思わない。が、それでは金は生み出されない。いや、生み出されなかった。当たり前だ、売るための手法じゃないんだから。結果として批評を装ったヨイショだけが残る。金になるから。

金持ちになるための本を書いて金持ちになるというマッチポンプの成立はそうした土壌を前提としている。