仕事と晩飯とその他

日記です。

大人買い。読書。

土曜日、『のだめカンタービレ』4巻まで買ったら続きも読みたいと妻が言うの残りも一気に大人買い。なんか自分自身の長過ぎた青春の頃も思い出す。オレも留学したかったな。卒業は今からでも何とかなるかもしれないが留学はちょっとなあ。無理だよな。まあ、でもやりたいこととできることが最近になって見え始めてきたような状態だし、若い頃に留学してもただ行っただけの思い出作りで終わったかもしれない。今なら勉強したいこともあんだけどな。

吉野源三郎君たちはどう生きるか』。先々週の土曜日に購入。タイトルは知っていたが40歳にして初めて読んだ。コペル君の呼び名の由来、学校生活、友だち、ビルから見下ろした銀座の町並み、貧しき友。かなり最初の部分からボロボロ泣き始めてしまい、全然読み進められない。感動するとかそういうのと違って、こんな本に出会えて良かったと思いながらも、子どもの頃にこの本に出会ったとしてもオレは全く理解できなかったに違いないとも思う。今だから、自分が一個の分子であるというその言葉の意味がおぼろげにでも分かる気がする。そして貧しさが現代のようにオブラートに包み込まれずにむき出しで存在していた時代。豆腐屋のくだりでは妻に心配されるぐらい泣いてしまった。
途中、ブルジョアの娘がナポレオンを持ち上げるあたりがそれまでと明らかに違う感じで急に気持ちが萎えてしまい、しばらく放置。ようやく読み終えた。最後まで読んで良く分かった。やはり良い本だった。丸山真男の解説にはほぼ同感。というかブルジョアの娘にむかつくのが時を越えて同じだったことに少し笑った。丸山真男だけでなく、多分、意外と多くの人が彼女の言動に何かの「臭気」を感じているのだと思う。そしてそれは分かる人にはわかるが分からない人には絶対にわからないと思う。特に生まれついてのブルジョアには絶対に分からないと思う。ルサンチマンって言葉はとても深い。
この本のタイトルだが、現在であれば『僕たちはどう生きるか』、となっていた気がする。だが、「君たち」であることにとても多くの意味がこめられているのだと自分には思える。そう、今も昔も「自分はどうするか」ばかりがオレも含めてほとんどの人の関心事であって、自分はけして「君」ではないのだ。この本の重要なテーマを考えれば考えるほど、この本のタイトルは「君たち」でなければならなかったのだ。