仕事と晩飯とその他

日記です。

著作隣接権などの権利のこと

著作隣接権云々の話は分かるような分からないような、やや隔靴掻痒の感がある。そういう気持ちになってしまうひとつの大きな理由は、文芸とかコミックのようなジャンルではなく実用書を扱っているからということと、だからこそ「作品」という物言いにとても大きな抵抗を感じるからではないかと考えている。

それはさておき、権利関係が複雑になるのは避けたいのはまったく同意なのだ。だが、そこをすっきりさせるために新たな権利を発生させるという流れが自分には今ひとつ納得がいかない。従来の出版契約書に公衆送信や電子的な頒布についての条項を盛り込むだけではなぜいけないのだろうか?

出版物では「どこまでが草稿でどこからが完成稿なのか」であったり「どこまでが原稿でどこからが作品なのか」について関わる当事者それぞれによって意見が異なる場合は少なくない。どの状態をもって「著作」とすべきなのかの意見が違えば権利の主張も異なるのは当然のことか。

んー、でもやっぱり個人的には権利に権利を重ねていくような方向には反対だなあ。将来また違う問題が発生することだってありうるわけで、その辺はお互いが納得した中での「契約」でカバーしておいたほうがいいんじゃないかなあ。

「どこまでが草稿でどこからが作品か」という話と似て非なるテーマとしてこういうものが考えられる。例えば絵画で、ある特定の画材を用いなければどうしてもできない表現というものがあったとする。その作品の成立にその画材は不可欠だったと言うことは可能だろう。だが、その画材が作品についての権利を主張すべきだろうか。音楽でもある特定のメーカーの特定の製品でなければ出せない音があったとして、その音は作品の成立に不可欠ではあったとしても作品に対しての権利は発生するのだろうか(音楽の場合は譜面と演奏とで権利が別れてはいるけれど)。

個人の著作物と捉えるか共同著作物と位置付けるのかというあたりに根本的なずれがあるように思う。このあたりになってくると実用書版元にとっても身近な話題だ。著者名を出していたとしても編集や外部スタッフとの共同著作物になっている本は少なくない。それらについて出版社にも権利があると主張したい気持ちはよく分かるし、せめて新たな形態への対応についての権利を任せて欲しいというのも分からないでもない。

わからないでもないが、だからこそお互いに納得した上で契約の中に諸々を明記しておくべきなんじゃなかろうか。

契約書を作ると必ず、「本契約書に定めのない事項については甲乙双方真摯に協議のうえこれを定める」といった決まり文句が盛り込まれる。過去の契約には盛り込まれなかった諸々が現実に発生している。真摯に協議のうえこれを定め、新たな契約を交わせばいいのではないか。

自分はそう思っているけど、間違ってるかなあ。