1960年に北海道でポリオが大流行した。
INCで急にふられたお題だが、正直自分の中で消化しきれていない。というより、ずっとそのことを考え続けている。
ひとつ思い出したことがある。昭和35年の北海道でのポリオ大流行のことだ。
姉も罹患者の一人だ。
ソ連の生ワクチン、琴似の整肢学院、首だけ出した「鉄の肺」。
生ワクチンのことを知ったのは姉が発熱してからポリオと診断された後のことだったと母は言っていた。ワクチンは、当たり前の話だが、罹ってから接種しても効果はない。それでも母はワクチンを取り寄せる親達と一緒に奔走したらしい。
ソ連からようやく届いた生ワクチンに一縷の希望と祈りをこめ、母はまだ赤ん坊だった姉にそれを与えた。
効き目はなかった。
琴似の整肢学院には全道からポリオに罹患した子ども達が集められた。
つい最近になって写真集が刊行されていたことを知った。
http://www.geocities.jp/hokukaido/mother/index.htm
ひょっとしたら姉の姿が残っているかもしれないと思ったがわからなかった。高い死亡率のことは知らなかった。多分、姉と一緒に過ごした何人かは亡くなっているのだろう。
そして、「鉄の肺」の写真をネットで初めて見た。
「鉄のドラム缶みたいなのから頭だけ出してさあ。苦しそうでかわいそうで」と、母親は言っていた。姉は、「よく覚えてねえな」と言っていた。思い出したくなかったのかもしれない。
出版というメディアにできることは何だろうと思うことがある。人々の声を伝える媒体としてできること。いや、伝えるだけではなく、何か形に残すということ。
世の中にはメディアを使いこなして自分の声を主張できるヒトもいる。そうではないヒトもいる。自分ではどうにもできないことに巻き込まれてしまうヒトは常に存在している。何かを発信する気力を失ってしまうヒトもいる。
伝えるだけで終わらない何か。それが、もしかしたら形を残す「出版」という行為にできるひとつの何かなのかもしれない。
そんなことをあれからずっと考え続けている。