クルマを走らせている最中に姉から電話があった。
クルマを走らせている最中に電話があった。
左折して出た大きな通りでクルマを歩道に寄せて止めた。
電話は札幌の姉からだった。
電話したがつながらない。
間を置かずにメールが。留守電の知らせだ。
姉からの留守電だった。
大腸の検査を受けに行った父がそのまま入院したらしい。検査入院だと言っていたが姉と母は病院にいるようだ。
ああ、そういう時が近付いたってことなんだな。
すぐにそう思った。
後ろの席に乗っている子どもに電話を渡し、かかってきたら出てくれるように頼んだ。が、電話はかかってこない。
子どもにはこう言った。
パパは、こんなこと言うとママに怒られそうだけど、充分に親孝行したかなって思ってるんだ。なんかこう、ウチは貧乏だったから、大学中退したりしてちょっとアレだったけど、こうやって普通に暮らして子どもがいてってだけで、もうそれだけで充分に親孝行してるんじゃないかって思うんだ。
子どもはそれについては特に何も言わなかった。喉が痛いといってマスクをしているせいだろうか。
さっきからずっと後ろを走っている黒塗りのクルマからアイドルなのかアニメなのかよくわからない歌が大音量で聞こえてくる。いや、空気を入れ替えたいからといって子どもが大きく窓を開けているから、後ろのクルマの歌がドッカンドッカン聞こえてくるんだ。
なんか変な歌だ。
何度かの信号を経て、いつの間にか後ろのクルマはいなくなった。
自分と子どもも病院に向かっている。
姉と連絡がつくのは病院から帰ってからだろうな。
そう思いながら橋を渡る。
病院にはもう何度も来ているようで、それでいて実際にはまだ数回しか来ていない。俺は多分この病院に何か懐かしいような感情を抱いている。2度目に訪れた時、母と姉から聞いた鉄の肺の話を思い出した。始めて来た時には、そうだ、実家の近所にあった病院の食事の匂いがした。病院の食事の匂い。
子どもは暗い病院が怖いらしい。
妻から電話があった。こちらからかけ直そうとしたらうまく通じない。
薬局に行く時に雨が降ってきた。
薬局を出ると本降りだった。薬局のヒトが傘を貸してくれた。
クルマに乗る前に妻に電話した。やはり通じない。
実家から電話があったのだろうか。
慌てていたのか、借りた傘をクルマのドアにひっかけて完全に壊してしまった。
センターラインがよく見えないほどのひどい雨。怖い。
家に着いた頃、雨は小降りに。
食事をしてしばらくしてからようやく姉から電話が来た。
大体予想通り。ただ、詳しい検査の結果は来週とのこと。いい結果とは限らないようだ。
昭和一桁で尋常小学校(国民学校?)だった父は新制中学の記憶があまりないようだ。勉強は嫌いだったらしい。新聞を読めないことは小学校の頃から知っていた。アルファベットがまともに読めないことは自分が中学の時に知ったが、実際にはカタカナも危ないというのは高校ぐらいになって初めて知った。通りで、寿司屋が潰れて以降はどんな仕事やってもすぐにクビになるわけだ。文字が読めないと出来る仕事は少ない。識字率が高い国だと言っても文盲はいる。オレの父はその一人だ。
父にとって21世紀はどんな時代なんだろうか。
多分、よくわかっていないんじゃないかと思う。多分、色んなことを、オレが思う以上に、わかっていない。
父は、どんな夢を見るのだろうか。子どもの頃、まだ色々なことがよくわかっていた頃の夢を見るのだろうか。それとも、今、この世界こそが夢なのか。
オレには多分わからない。父がこの世界をどう見ているか。
父は何を為し得たのだろうか。そんなことは考えなくてもいいはずなのに、つい、そんなことを考えてしまう。よくない。
オレは何を為し得るのだろうか。
暗澹たる気持ちになる。
ただひたすらに怖い。
帰り道の土砂降りの雨の中、行き先を導くはずのセンターラインも何もかもが雨水に覆われた車道を、まるで手で探るかのように走り続けた。どこに向かえばいいのか、ついさっきまで見えていたはずの道がまったく見えない。
ラインのあるところだけが自分にとっての道だったのか。そして、それが見えないことは、そんなに恐ろしいことなのか。
魯迅は道はヒトの後に出来ると言った。
オレは道のない場所を進むことを怖いと思っている。
そして、父の目の前には道はまったく無く、父の後にも道は無い。
いつか、消える。