仕事と晩飯とその他

日記です。

まだ考えている

『「本屋」は死なない』、読む前からいろんなヒトの感想を読んだりしつつずっと本のことを考え、読んでからも考え、一晩寝かせてから著者の話も聞き、それも一晩寝かせてからまだ考え続けている。

ひとつ思ったのは、職人的仕事のエッセンスは非常に単純なことで言葉にするのも説明するのもたやすいのだがそれを正しく実践するのはとても難しいということ。要は『アイデアのつくり方』だ。

棚を作るという仕事のエッセンスは「本を読む」ということに尽きるのだろう。オレにはそう読めた。それはその通りなのだろう。読み切れないほどの量の本が常に供給され続けている現状においてそれでも読み続けることはもはや絶望的に思える。

オレは本屋で働いている時(バイトだけど)までは本を読み続けていた。最初のバイト先は雑誌を最初にやって雑誌読んだなあ、バックヤードで。国文の時は『サラダ記念日』が売れてたんで短歌の本読んだ。よくわからなかったが林あまりは薦められて納得した。こういうのが好きなんだな、皆、みたいな。二つ目のバイト先ではたまたまブルーバックスを担当したので元々沢山読んでいた蓄積もあり楽勝だった。この時、読んで面白かったんでPOP立てたり平台のいい場所使わせてもらったりで日本一売ったブルーバックスがある。新書の単品で日本一っていってもそうでもないか。いちおうそういうこともあった。

前の出版社はコンピューター雑誌がメインだったけど、コンピューター雑誌読んだなあ。でも自社の雑誌ばっかり。他社の雑誌はほぼ読まなくなった。本は減った。激減。会社で書籍立ち上げる時に専門書みたいの何冊読んだけど翻訳がアレだなあと思ってから読まなくなった。読まないほうがモノとして気軽に扱え売ることに躊躇がなくなるから。

今の会社では最初自社の本も読まない(読むっていうとちょっと語弊があるか)ようにしてたんだけど、途中からイカンと思って読み出してる。読み物じゃないから読むの時間かかるけど、それでもけっこう読む。正直、全部は読めない。一時期、思い立って他社の売れてる同じジャンルの書籍(読み物じゃない)をごっそりまとめて買って読んだ。読んだと言うか問題解いたりするんでですごく時間かかるんだけど。で、こういうじゃんるでも「なんかこう素晴らしい本」ってあるよなあということを身にしみて感じた。

で、話は戻るが、仕事のエッセンスを「本を読む」ということに置くこと自体はやっぱり正しいんだなと、読まない自分を恥ずかしく感じつつ自分はそう思った。読まないからこそ「読まないで何とかなる方法は無いか」と考えてしまうのだ。大抵のことに近道など無く、長くやるとか量をこなすとかその先にしか見えてこないものがある。むしろ、そういう方法こそ誰でも実現できる公平な道筋なのだ。中には才能があってショートカットできる奴もいる。でも、普通はそれができないからこそ長く大量に、何かに打ち込むことが必要なのだ。

ところが、だ。なんというかそういうのとまったく違う道筋というのがあるのだ。というより、そういう愚直な方法ではなくもっと安易な方法であっても「結果」さえ残ればよいのだという世界がある。それがビジネスの世界だ。

『「本屋」は死なない』の中で石橋さんが「ビジネス書は合法的な詐欺なんじゃないの?」という疑問を呈している下敷きには実はこの職人的な愚直な方法論で得られた結果もなんたらハック的な安易な方法で得られた結果も同様に判断してしまう「ビジネス」という言葉でくくられる世界観への疑問があるのだということを昨夜の講演会で知った。

なるほど。

(この項もう少し続けたいが出社せねば)