仕事と晩飯とその他

日記です。

本屋が支えているもの(末端なんで偉そうなことは言えませんが)

『「本屋」は死なない』、オレは読まないほうがいいような気もしてきてるんだけどどうしようかなあ。

上記の本の中で石橋さんが「自己啓発の本は合法的な詐欺みたいなもんだ」とかなんとか書いてるそうだ。

ん確かに石橋さんの頃の新文化はそういうのとはちがう「良心的」だったり「熱い思い」だったり「マイナーへのこだわり」であったりをよく取り上げていた気がする。

オレ自身が直接言われて「へえ、そういう視点もあるんだ」と思ったのは「版元ドットコムのアクセスランキングでは50番・100番といったキリ番の本を扱っているのがいい。マイナーな本が取り上げられるチャンスが最初から考えられているのがいい」とか何とかそんな話。

版元ドットコムのアクセスランキングそのものが世間的にはどマイナーなので、その中で少しでも多くの本を、どういう理由でもなんとかかんとかひねくりだして紹介しようというつもりだったのだが、さらにマイナーへの視点なのかとちょっと不思議に思った。どんだけマイナー好きなんだ。

ただ、オレもそうだけど、石橋さんがそういうマイナーな本を読んでいたかというとそういうわけじゃないと思うんだな。

石橋さんはもしかしたら良書とかがあるって思ってたのかもしれない。オレもちょっと思ってる。思ってるけど、それはジャンルとかなんとかじゃないんじゃないのとは思ってる。色んなことを端折ってざっくりした物言いにしてしまうと、万人にオススメしたい本はあったとしても万人にとっての良書というものは存在しないのではないか、などと思っている。

その人が良書と思えばそれは良書だ。

昨夜、買ったのにまだ読んでいなかった『緑の書』を少しだけめくってみた。ものすごく面白いじゃないですか。中学高校の時に読んだら人生変わるぐらいはまってたかも。

でも、『緑の書』は誰かにとっては悪書で誰かにとっては(いいとか悪いとかではなく)かけがえのない本だったりするのだろう。

文芸だろうがノンフィクションだろうが思想書だろうが自己啓発本だろうが健康本だろうが、ひと時のファンタジーってことで言えばそんなに変わらないんじゃないのって気持ちは昔からある。「ああ面白かった」で終わる本はそれはそれで意味あるし、それでいいんじゃないかなあ。

嘘書いたり騙したりみたいなのに不快感を持つヒトはいるし、オレも特に命に関わる健康本についてはもう少し扱いが慎重でもいいんじゃないかと思うことはしょっちゅうある。

あるけど、その気持ちは常に揺れてる。

で、「そんなくだらない本はオレの眼の黒いうちは店頭に置かせん!」みたいなお店があったらオレは話の種に一回行くけど二回目はどうかなあ。くだらない本も高尚な本も同じステージで扱ってこその本屋の面白さだと思うので。オレは倉庫みたいな店は好き、というか倉庫が好き。好き過ぎて毎週行って棚詰めしてる。

本屋が雑多な場だからこそ売れない本も出せるという出版の自由が支えられている。本屋が高尚な本しか置かなかったらくだらない本とか電波入ったような本とか偏った視点からしか主張してない本とか出せないじゃないですか。雑多な本を扱える本屋こそが日本の出版の多様性を支えてる。

だから、出版社が本屋を支えようとすることはある意味必然であろうと思う。

まあでも、本出すの(=出版活動そのもの)も不自由だと思うヒトが考えるさらなる自由がネットにはあるんで、そういう意味では出版の売れない本や偏った本の受け皿としての機能は終わりを告げつつあるのかもなあ。既に地下出版的な機能も移行しつつあるからなあ(そこは最後まで残るような気もするんだけど)。ある意味、歴史的役割を終えて変わりつつあるってことなのかも知れない。

終わりに立ち会えるならそれはそれで面白い。安穏と同じことが続くよりよっぽど興味深い。

(蛇足だけど、絵本は子どもに好ましいけどマンガとかアニメは子どもに好ましくないって本気で思ってる知り合いがいて会ってそういう話になる度に「違うんじゃねえの」みたいなことをチクチク言ってんだけど全然伝わってないんですわ。あと、割と本気で子どもは詩を読めみたいなことを言う知り合いもいるんだけどリアルが楽しいガキは詩なんか読まないし詩なんか読んでファンタジーの世界から抜け出せなくなりそうなガキに現実ガンと見せつけるのが大人なんじゃねえの。まあ、どうでもいいっちゃどうでもいいのでホントに蛇足。)