誰を、どこからどこにつなぐのか
以下の文章を読んでこんなことを思いました。
「先の見込みが無い日本と日本の電子書籍の未来を明るくする、たったひとつの方法」
朝読の影響で子どもはけっこう本を読んでるはずなんですよね。今、手元に資料ないんであまり詳しいことは言えませんが。
自分も最近は青空文庫ばかり読んでるんですが、明治大正戦前の文章そのままは大人でも読みにくいですよね。日本の作品でも海外の翻訳でも。はたしてそれをそのまま渡しても、子ども、読みますかね。
文章の美しさがどうこうという点は抜きにして、最近の小説やエッセイは今のヒトに読み易い文章になってると思うんですよ。同様に昔の本は昔のヒトビトに読み易い文章になっている(いや、読みにくいのも多いんですけどね)。
特に最近は、アメリカのベストセラー的な「読みやすさ」がより多くの読者の心をつかむためには必須要素であると考える編集者が増えたようで、一昔前の本に比べても抜群に読み易い本が増えているように思います。
繰り返しになりますが、そうした読み易い本に慣れた読者に、漢語調の文章やふりがなや注釈があってもわかりにくい当時の言葉をそのまま投げかけるのはいかがなものでしょうか。
むしろより積極的に今に合わせた翻案を考えてもいいのかもしれません。
単なる現代語訳ではなく時代設定を現代にするとか舞台を日本にするとか。明治時代の翻訳文学はそういう手法を積極的に使っていたようです。ある意味、怪盗アルセーヌ・ルパンがルパン三世になるようなものですが、原作の面白さが伝わればそれもありではないでしょうか。
それはさておき。
青空文庫で読書体験を取り戻す対象になるのは、子どもよりむしろ大人ではないでしょうか。昔読もうと思ったいわゆる名作に挑戦(無料で)とか、あの大作家のマイナー作品を読んでみよう(無料で)みたいのを繰り返すことで読書の幅が広がれば、そこから先も生まれてくるはずです。
けれど、今のままの青空文庫では、せっかく読書の楽しさを再発見しても、今の読書状況にはなかなかつながらないようにも思えます。
だからこそ、青空文庫から今の読書状況への導線がこれまで以上に期待されているのではないでしょうか(というか自分はしています)。著者同定・作品同定による入手可能な本への誘導だけでなく、例えば評論や解題的なテキスト、影響を受けた作家・作品への橋渡しなどなど、可能なこと、望まれることは多々ありそうです。
そうした諸々を何とかできるDBの整備は大きな課題です。同定の問題は図書館界含めて何とかなりそうな気もします。が、師弟関係とか、影響受けた・与えた、同時代のライバル、出版社などによる囲い込みなどの作品と著者をめぐる状況について、研究はあってもDB化はされていないように思います(あったらごめん)。研究もごく一部でしょう。
そういうDBができ、それが共有の文化資産となった過去の作品と今の新たな才能を結ぶものになれば素晴らしいのではないかと夢想します。
そんな仕事も面白そうです。