仕事と晩飯とその他

日記です。

んー、即返を防ぐためにも事前告知は重要なんじゃないかと……

新刊が店舗に納品されても売場にも出されずそのまま返品されてしまうことを即返品とか即返と呼ぶことがある。

若干でも見計らいがあれば無い話ではない。ウチの会社でも無いわけではない。意外とある話が、該当ジャンルの棚が縮小されたとかそういう理由。まあ、そういうことであればしょうがないよね。見計らいが無くなれば即返は減るだろうって言われてるけど、どうかなあ。入ってきた現物を見たら頼んだ時に想像してたのとまったく違うよってことで返されることもあるからなあ。

とはいうものの、事前にある程度以上の商品説明をしておけば即返は減る、のかな。もちろん、「要らない」という意志を事前に表明していただくという選択肢も含めての話だが。

現状では新刊の点数は相変わらず多過ぎるし一点一点についてきちんと事前の説明が為されているわけでもない。どこの棚に置くかが明確な本は返されにくいが、どこの棚に置いたらいいかわかりにくい本や、どこの棚に置くかは明確でも過去の実績が書店の期待を下回った記憶が残っていたりする出版社の本の場合は返されることも多くなってしまう。二つが組み合わさるとけっこうきつい。

いや、それでも直接お店に行ってもらった注文ならまだ返されにくいかな(ちなみにそういう注文であっても現物を見て店に合わないと判断したら迷わず返すのも書店員の重要な仕事だと思っているのだが)。

出版社の営業が注文あまり取れなくてもお店に行くのにはそういう意味合いもある。そういう意味合いというのは、つまり「返しにくいと思われる環境作り」ということ。消極的に聞こえるかも知れないが結果的に店頭での露出を長く確保することは売上にもつながる話なのでまったくもって営業的には正しい(が、確かにやや不毛な感じが無いわけではない)。

さて、他社の売上データなども閲覧できるような時代になってしまった今、たまに、ふと他社の商品のことが気になってしまいデータを確認してしまったるすることもあったりなかったりする。そこで即返の現実を見ると暗澹たる気持ちになるのだ。

配本が悪いという言い方はできる。即返になるということは店舗としてはその商品の販売にはあまり責任が持てないという意思表示であるわけだが、それが事前に分かれば配本しなければ手間もコストも減らせるうえに本そのものも無駄な行ったり来たりを経て痛んでしまうこともないわけだ。配本しないことで皆がハッピーだ。

いや、そうでもない。その店でその本に出会ったかもしれない読者からしてみるとあまりハッピーな話ではない。が、そういう読者は他のお店で出会えるかも知れない。そのあたりで機会損失を大げさに捉えるよりは別の機会の演出を考えるべきだろう。

即返されるのは「要らない」という事前の意思表示をきちんとしない書店が悪いという言い方もできる、かな、ちょっと無理あるけど、まあ、できるとしよう。書店は無駄な納品がないほうが無駄な返品の作業もしなくていいから意思表示はしたい、はず。

でも、現実には事前に商品の説明を聞いて事前に指定してって流れがパーフェクトに機能しているとは言い難い。というか現実には事前指定って売れるものを沢山取るための方法論であって売れないものを断るための流れにはなってない。出版社で働いていて注文数ゼロの指定をもらったことは無い。ん、あったかな? 直接訪問したお店でゼロで返されたことはあるな。でも、FAXとかでわざわざゼロ回答を送ってくるお店は見たこと無いな。あ、「今後、一切の配本は不要」って言うのは何回か見たことある。棚無くなっちゃったとか含めて。

で、話を戻すと、即返はやっぱり出版社がきちんと事前に商品情報を告知しないことが主な原因なんじゃないかって思うんだよね。いや、配本だってヒトはもちろんいると思うけど、それはそれとして、出版社が主体的に出来ること考えたらやっぱりそれでしょ。

インターネットの時代になって小さい出版社でも発信できるようになったっていうのはその通りなんだけど、なんかさ、やっぱり全然足りてないんだよな。反省も含めて最近はその「足りなさ」を痛感してる。もっと告知していいよ。金かけないでできることは一通り以上やっておこうよ。

同じ本繰り返し案内してると飽きちゃうんだよね。飽きちゃって止めちゃう。でも、飽きちゃっても続けないと。飽きちゃってからどれだけ続けられるかって実はかなり重要だよ。

自分自身が飽きても続けるのをちゃんとできてるかって言うと実は全然できてはいないんだけど、ホント、たまに、ふと他社の商品のことが気になってしまいデータを確認してしまったるすることもあったりなかったりするわけで、そんな時に苛烈な現実を見るとさすがのオレも心が痛むわけよ。

そんな木曜の夜。

もうすぐ金曜。