仕事と晩飯とその他

日記です。

配本雑感

池田さんの版元日誌が注目を集めているが、自分は雑誌営業から入ったので広告媒体でありながらほとんどの店舗に自社商品が並んでいない(いなかった)という状況を思い出すだけで震える。店頭にものがないという状況は不安以外の何者でもない(のだが、現実がその想像に追いつきそうで怖い)。

店頭にモノがなくても売る(売れる)という状況を作り出すのだ、という気概には何度も遭遇しているが、現状では店頭にものがない状況はジリ貧につながりかねない。配本を補う手段は多々あるが、完全に代替できるほどの強力な手段はまだないと考えたほうが無難ではある。

「アマゾンだけで売ろうと思うんですけど」などという話を何度聞いたことか。「電子書籍で勝負しようと思います」より聞いたかも。形のある本がリアルの書店に並ぶ・並んでいるということそのものの意味は意外と侮れないと思う。

とはいうものの、やや実用よりで「情報そのものに価値がある」コンテンツを扱っている以上、本という形態や書店という小売に拘泥しないという方向性には充分に可能性がある。そちらも茨の道ではあるようだが。

現状の流通や小売は「本屋で本を売る」を前提としている出版社には非常にやりやすい(過去形?)わけで、厳しい寒さの中、冷えつつあるぬるま湯から抜け出すには大きな決断が必要となる(し、抜けだした先に未来があるかどうかもよくわからないわけで……)。

※よく「取次が悪い」ってヒトはこの辺の話題で直取引(取次を経由しない書店と出版社の直接取引)の話を持ち出すけど、直も書店という小売を前提としていることに変わりは無いんだよね。それを言うなら取次も書店も通さず会員制のリスト商売してるところとかすごい少部数で図書館納入メインでやってるところとかのほうが根本的な違いは明らかだけど、でも正直それも新しくは無いんだけどね。

ぬるま湯を提供してくれていた書店や取次がこれからも面倒みてくれるだろうなんていう期待は捨てたほうが無難だとは思う。それは強くそう思う。今までありがとう、これからもよろしく。だけど、なんかあった時のことはお互い考えておかないとねって感じか。

確かに「配本」に対して「強力な営業」という代替手段はあるにはあるが、そこには配本以上に過剰な返品を生み出す可能性もあったり無かったりという気がしないでもなかったりあったりなんだか曖昧な物言いでよくわからなくなってしまったりそうじゃなかったり……。

普通に外回りの営業としては他社の本をオススメするだけじゃなくフェアにどうしても並べてもらいたい他社の本のPOP作ったこともある(結局それが一番売れた)し、そういえばある店舗でコーナーの見直しするって言うから手に入る限りの実売データを使って売れ筋の絞込みを手伝ったりしたこともあった。それぐらいのことはお店に伺ってる営業なら誰もが既に色々なことをやってるはず。けど、瞬発力だけでどうこうではなく息切れせずに続けられることを見つけることが肝要なのだと最近は実感。イマイチぱっとしなくてもきちんと続けていられることのほうがいい。継続こそが力なり。

(でも、やっぱり色々と足りてないかな。うん、足りてないな。)

スタイルノートの『音を大きくする本』 http://bit.ly/pQF4fj がユーザーには意外と知られているにも関わらずそういう本を探している読者がいるということが書店には意外と知られていないというミスマッチングを解決するのは店頭以外の手段なのかも知れない。

つうか、「本は読者に知られていない」どころか、書店員が在庫確保に奔走するような本を除くと「本は書店員にも知られていない」のが現状なんだと思う。多過ぎるのも一因。読まなきゃならんってことになっちゃうと小説とかコミックみたいに読めない本はますます知られなくなっちゃう気もすんだよね。

本当に、関係者以外にほとんど知られずに押し流されてしまう本の多いことよ。毎週毎週膨大な本のデータベースを眺めていると諸行無常すら感じる。まあ、埋もれてもしょうがねえかなあって本も少なくないのも事実なんだけどさ。