仕事と晩飯とその他

日記です。

自分はお金を出して買う最初の読者になれるのか?

昨夜の俺は何を書きたかったのかなあ。

売り方を変えたらもっと売れるんじゃないかって考えることが悪い打なんて思ってないんだよね。なんていうか、「自分も最初の読者だろう」「読者として考えた時、その本はレジ前にあって欲しいのか」ってことなんだろうな。ま、うまく言えていない気はする。

4年間で5000部ぐらいの本はサア、読みたい人と出会うのを待つ場所がレジ前じゃないと思うんだよね。いや、酔狂でレジ前に置く店があったってそりゃいいんだよ、全然。でもさあ、そういう部数の本は、どこの店にも置いてないって文句言いながら棚で見つけてレジに持っていってくれるそういうヒトに届いて初めて意味があると思うのよ。

自分も読者のはずなんだけど、自分の作る本に対してだけしかそうじゃない編集者ってのがたまにいる。ていうより、自分の作った本を読者として見られない編集者がいる。うーん、なんだろう、もっと言うと実際に買うヒトをイメージできない編集者。そういう編集者が本作っても、自分の作りたいものは作れるかもしれないけど、誰かが読みたいと思う本はなかなか作れないんじゃないかな。いや、ちょっと違うな、読みたいと思う人は少なくてもいることはいると思う。でも、それが広がっていくのかどうかってこと。

作りたいものと売れるものが一致するっていうのは稀有な僥倖だ。そういうヒトはごく稀にいる。でも、誰もがそうじゃない(だって、そんな作り手ばっかりだったらこの世に出る本は全てミリオンどころか400万500万売れなきゃオカシイジャナイカ)。

売れるもんっていうからおかしくなるのかな。

自分でその本金出してでもどうしても買って読みたいかってことだ。商品であるってことはそういうことだ。沢山売れる本っていうのはそういうお客さんが沢山いるってことだ。で、少なくても売れる本っていうのは数は少なくても欲しいってお客さんがいるってことだ。そういうお客さんに届けるのだって大事な仕事だ。

お客さんは既にいるってだけではなくこれから作られるものでもある。需要を喚起するような何かをどうこうするのは営業だけでなく編集も考えるべき仕事だろう。

だからこそ、今いると思われるお客さんに向けたニッチなアイテムっていう企画はよくよく考えないといけない。まずそこに本当にお客はいるのか、いたとして本当に考えている数なのか、その本によって新たなお客は生み出されるのか、そして、とどのつまりは、自分自身はその本の最初のお客になれるのか。

そこで引っかかるんなら編集なんてやめちまえ。というか、やめてくれ。

ということを面と向かって言えるかどうか。俺にとっての正念場でもある。


※んー、でもやっぱりちょっと違うなあ。金出して買う動向だけではない気がするなあ。ちょっとしたサービス精神とでもいうのかなあ。愛用がエンターティンメントじゃなくてもそういうのってあってしかるべきなのかも。そしてそれを、数は少なくても確実に存在する読者に間違いなく届けるのが重要。届けるための手段は変化してるわけで、そこについては自分も考えが足らない点は多々ありそうだ。

ということでやっぱりまとまらん。