仕事と晩飯とその他

日記です。

正義が怖い

ネットの中で自分たちが一番正しいと思い込んでいる人たちが一方的な正義をまくし立てて悦に入っていることが怖くてたまらない。

真実とは単なる事実とイコールではなく、正義なんてものも拠って立つところが違えばまったく異なるものになってしまう。そんなことはザラにある。「正義の反対は別の正義だ」って言葉はどこで読んだんだろう。ああ、それもネットでのことだったかも知れない。オレ自身もネットにどっぷりとつかっている。

ちょっと前まではネットの中の論調を日常の中にそのまま持ち出せば笑われたものだ。それが今では真実も正義もネットの中にあることになっている。ネットが日常となったのだろうか。もし日常となっているとして、ネット民が笑う「真実はテレビの中にある」というのと、「真実はネットの中にある」は、どこが違うのだろうか。

今、ある意味の躁状態に陥って端的にはポジティブに見えてもよくよく考えると偏った話を言い出しかねないヒトがいる。ある一方の絶対的な正義を心に描きそれを全肯定することだけを求めているヒトもいる。別の視点や別の立場はどんな時でも必ずある。それは単なるネガティブでも裏切りでもない。もちろん悪でもない。

不謹慎を指摘する正義、逆に不謹慎を笑う正義、自粛を求める正義、自粛に呆れる正義、買い溜めに走る不安感を馬鹿にし、東京を離れる人々を臆病者と揶揄し、脱原発を意識し始めた人々を非現実的と一蹴する正義。物資不足を煽り東京に残ることを断固として拒絶し原発の恐怖を誇張して伝えようとする正義。

他人と違うことが言えなくなるという恐ろしさ。

オレは今、正義が怖い。怖くてたまらない。