仕事と晩飯とその他

日記です。

あの頃のことを懐かしいとか言える値打ちは俺にはない

地震から一週間が経った。事務所が大きく揺れたことははっきりと思い出すのに、揺れたその瞬間まで何してたのかはほとんど思い出せない。朝から出先で会議だった。遅れて行くことになったが、実り多い内容だったことは何とか覚えている。昼飯をご馳走になった。食べながら音楽の話とかをした。楽しかった。

会社に戻って普通に仕事をしていたと思う。メールが溜まっていたからその分を片付けていた。

それから何してたかな。

揺れ始めてすぐにいつもの地震と同じように事務所入口の鉄扉が閉じてしまわないよう押さえに行った。一瞬だけ揺れが小さくなった、気がした。それから、今まで体験したことの無い大きな揺れが来た。立っていられなくて壁に寄りかかった。古い建物が聞いたことの無い音を立てていた。見下ろした階段が、そのまま崩れていくように思えた。

少しだけ揺れがおさまった。隣の部屋から無言でやってきた女子社員たちが打ち合わせスペースの机の下に潜り込んだ。揺れは明らかに小さくなっていた。「外に逃げましょう」と、声をかけた。床には本棚から落ちた本が散らばっていた。事務所の奥の同僚にも「逃げましょう」と声をかけた。社長が金庫の鍵を気にしていた。それを待っている間に鞄を抱え、ロッカーからコートも出した。社長と二人で階段を降りる頃には大きな揺れはおさまっていた。

外に出てすぐに真っ青な顔で寒い寒いと言っている女子社員にコートを貸した。近くの大きなビルの前にはあちこちの建物から出てきた人たちが集まっていた。誰かが携帯電話の画面を見ながら「仙台で震度7だって」と言っていた。

一浪して東北大学に入った。色々あって学部に進む前に仙台を離れ中退した。別の大学に入ってから仙台に行った。寮に住んでいた頃の連中にはその時に会った。それから会ってない。いや、ひとりだけ、東京に出てからも何度かやりとりしている奴がいた。今の奥さんとも会わせたことがある。

インターネットはすごい。調べたら奴の勤務先が出てきた。

電話した。

通じなかった。内陸なんで回線の問題だろう。

今日、奥さんに「あのまま東北大学行ってたらあのあたりで就職してたんじゃないの」と言われてこう答えた。「俺の専攻だと仙台では働いていないんじゃないかな」

急に色んなことを思い出した。

けれど、あの頃のことを懐かしいとか言える値打ちは今の俺にはない。

だめな大人になった。