仕事と晩飯とその他

日記です。

今日もイマイチな夢。

大きな会合に参加している。昔の知り合いが沢山いるのだが、挨拶しても目を合わせない。皆、一様にオレのことを覚えていないようだ。大きな声で名前を告げるが、ややいぶかしげな表情。一瞥をくれた後、助けを求めるように泳いだ目で誰かを探す。目が合った誰かに手を上げて近付いていく。ちょっとした知り合いならまあそんなものかとも思うが、大昔の上司にまでそれをやられてショック。

金持ちになる秘訣にはオレがどうやってもできないことが含まれている。人付き合い、より正確には、ヒトとの付き合いを保ち続ける、ということだ。これができない。苦手意識があるわけでもないのだが、単にできない。骨身になっていない。常に一期一会。もうだいぶ前から気がついているのだが、世の中をうまく渡っていくためにはコネクションを維持し続けることだけが重要なのだ。いわゆる成功本的な本ではそこをオブラートにくるんで「自分の努力が……」的なことを書いているが、核心はそこじゃない。リアルでのヒトとのつながり、これを、例え仕事や趣味などでの直接的な付き合いがなくなったとしても「保ち続ける」ことこそが肝要なのだ。

年賀状や暑中見舞いもお中元やお歳暮もそのためのものだ。もちろんそれだけではなく、ある程度の頻度で直接会うことが重要だ。あちこちに顔を出すのはそのためだ。そしてできれば呼ばれるほうではなく呼ぶほうになったほうが話は早い。ホームパーティーをやりたがるような人たちは生まれ育った環境の中でそういうことが血肉となっている。社交性とはそういうことだ。

宴会場から庭につながる通路で声をかけられた。これはまた随分と懐かしい顔じゃないですか。うんうん、昔からよく声をかけてくれましたね。あの頃から色々と相談に乗ったりもしていました。

オレみたいに人付き合いを保ち続けることが苦手な人間がそれを維持するための方法論がひとつここにある。どこのタイミングでもいい、小さなものでもいい、実体が伴わなくてもいい、何らかの形で名前を残すのだ。もちろん記憶の中にでも構わないのだが、それだけだと普通は足りない。もう少し形のあるもの。作品とか本とか、そういったもの。それを媒介したつながりは一方通行ではなく双方向になる可能性を秘めている。人付き合いが苦手だからこそやるべきことがある。

という夢を見た。

なんだろう、やはり不安だ。