仕事と晩飯とその他

日記です。

書籍のがんじがらめ

書籍には色々な常識が詰め込まれている。でも、なんかそんなのもどうでもいい気がし始めてきている。書籍としての成立が怪しい形態であってもカタチのあるものは成立する。データは無料になってしまう可能性が高いが、カタチのあるものは値段がつけられる。そして、そのカタチががんじがらめの書籍の常識を追いかけていく必要もないのではないか。紙の本はもっと自由であってもいいのではないか。
自由な出版は理想だが、多くの人が述べるそれは内容についてのものであって、書籍という形態は本当にがんじがらめだ。そしてどうでもいいことのクォリティだけが上がっている。全てのお客さんが本当にそこまで徹底的にクォリティを求めているのだろうか。本の常識に絡めとられなければ、クォリティへの余計なこだわりを少しだけ見直したなら、本はもっと値段を下げられるし、そうでなければ無料の「情報」と対抗はできないように思う。
そう思うのだが、今の状態では値下げは難しいのだ。そして日本の家電のように高付加価値を目指してしまう。もちろんそれもひとつの方向だ。でも、本当は本はもっと安くなる。今流通しているあまりに美麗なクォリティは、もしかしたら余計な付加価値かもしれないのだ。手の込んだ表紙の上に4色の素晴らしい出来のカバーをかけ、その上にやはり凝りに凝った帯をかけ、印刷の質には妥協を許さず、紙にも拘り続ける。
いや、それもひとつの方向だろう。
しかし、違う方向は有り得ないのだろうか。書籍のがんじがらめに拘らないことは馬鹿げた話なのだろうか。
流通の問題ではない。流通なんて標準化して簡単なものにしてしまったほうが余計なことを考えずに済むんだからそうすべきだ。そうではなく、せっかくの紙の本の実体というメリットが価格競争力を持たずに終わってしまうことが情けなく思えてならないのだ。
職人がリードし過ぎた結果がここにあるのではないかという気がするのだが、そういう結論を性急に求めてしまうのもまたおかしいような気もする。
そしてまたぐるぐる回る。