仕事と晩飯とその他

日記です。

DTPとレーザープリンターによって失われた何か

MacPageMakerレーザープリンターの組み合わせで「誰でも新聞ができる!」という論調があったことを同時代の出来事として覚えているのは40代以上だろうか。それまでのワープロソフトとはレベルの違う本格的な「レイアウト」に活版印刷以来の革命と震えた人も少なくなかったはずだ。
手元にある『創立25周年記念編集 REFFERNCE FOR DIGITAL PREPRESS & PUBLISHING』(リクルート、非売品)によると、DTPという言葉はAldus社(PageMakerを作った会社、後にAdobeと合併)の社長であった Paul Brainerd が名づけたと言われているそうだ。一本のソフトウェアが言葉の定義と概念を生み出し時代を変えたという意味で、PageMakerの功績は後世に残るものであろう。

が、ここで疑問がある。それで、「誰でも新聞が出せる」ようにはなったのだろうか。

どうやら多くの人は新聞ではなくWebページを作る方向に向かっていったようだ。それもDTPソフトの豊富な機能や精緻な出来上がりと逆行するように人々は簡素なページを書くためのHTMLに熱狂した。紙に書き出さずともPUBLISHできることを考えれば出来上がりの美麗さなど瑣末なことに過ぎないと考えた人は少なくなかったようだ。この当時、DTPで流麗なページを作り上げる社内のオペレーターがWebページのことをボロクソ言っていたことを覚えているのももう40代、いや、なんとか30代、だろうか。オペレーターがプリントアウトした精緻なデザインのページをスキャナーで読み込んで画像化しWebに公開するという事例もあった。今では笑い話だが。

PUBLISHINGはWebを目指す、ことは、DTPという言葉が生まれた時からの必然であったのかもしれない。プリンターで書き出されるはずの有象無象が広大なWWWというサイバースペースに吐き出されていく。

「誰でも新聞が出せる」という期待は、「誰でもWebページが発行できる」という期待に置き換わったのだ。その二つの本質に違いは元から無かったのだ。

本格的なDTPソフトはプロ用のツールとして生き残る道を選んだ。値段は相変わらず高いが出版社においては完全にコモディティ化している。次のトレンドはアウトソーシングだろう。本を作る過程においてDTPは不可欠ではあるが出版社という形態にとってはそうではないのかもしれないということの証であろう。出版社にDTPソフトの動くマシンが存在しない時代は夢物語ではない。

この項続く、と思う。