仕事と晩飯とその他

日記です。

英語の違和感

読めてないなあということを再認識させられる出来事ではあったが、その前に感覚的に「これはもしかすると……」というのがわかっただけでも進歩としておこう。まあ、でもこれはつまり入試のようなぶつ切りの英作文の問題ではなく「英語で意味の流れを持った文章を書く」ということに尽きる。一つ一つの文章はもちろん、最終的に流れがなければ読めない。まだまだ難しいな。

通勤学習(読書)、もらったり買ったりした諸々を読み終えて今は『EVER WONDER WHY?』、物事や言葉の成り立ちや由来を集めた英語の雑学本。「なぜアメリカの納屋は赤い色が定番なのか?」とか「なぜカナダ人は犬にそりを引かせる時に mush と声をかけるのか?」とか「質屋の印はなぜ三つの金色の玉なのか?(アメリカっつうか欧米ではってことのようだが)」とか、そんな感じ。電子辞書使いながら読んでますが今のところはけっこう面白い。他にこんな本あったら読んでみようかって感じ。ああ、こんな感じで会話でよく使う言い回しの薀蓄を、みたいな本があったら読みたいなあ。こういう雑学本は、もちろん英語の勉強のために読んでるんだけど、元々嫌いじゃない。小学生の頃に漢字の成り立ちとかことわざの由来の本を繰り返し読んだのを思い出す。

単語に限らず言葉の使い方にはそうした背景の知識が必須のようだが、単なる薀蓄ではなく表現と結びついていたほうがより正確で豊かな理解が期待できるんだろう。日本語でもそうなんだから英語や他の言葉であれば背景知識の吸収は重要になると思われる。それはもう環境としての文化や風俗の問題でもあるわけだが。

そういう意味では一昔前のクラシックな教養人はある意味海を越えた共通の「文化」を持っていたのかも知れない。最近だと逆にポップカルチャーが国境を越えているしネットもそうだ。それらは共通の下地となり得るのだろうか。既になっているような気もするしそうでもないような気もするが、いい意味でのグローバル化であったとしても均質性というものに抵抗を感じる人は少なくないだろうなあ。

まあ、いくら共通の下地がと言っても事実上の標準言語は英語になりつつあるわけで、やっぱりもっと頑張って正確な理解はもちろんニュアンスがわかるぐらいまでたどり着きたいもんだ。そこまであと何年かかるんだろうか。ちょっと気が遠くなる。