仕事と晩飯とその他

日記です。

何に落ち込んでいたのか

何に落ち込んでいたのか妻に聞かれたので説明したがうまく伝わらなかったようだ。

オレは、つまり、仕事がうまくいったとかいかなかったとか仕上がりがよかったとか悪かったとか、そんな話をしているのではない。日本語で書かれてりゃ少しは良し悪しを自分で判断もできる。付け加えたり削ったりもするし、薀蓄を語ったりもあるだろう。日常の仕事では日本語を扱ってるわけだからそんなことは当然だ。だがしかし、英語で書かれたモンは「これは正しい英語なんですか?」っとところから始めなきゃならん。当然、良し悪しの判断なんてできないし、付け加えたり削ったりも薀蓄もほとんど手も足も出ない。

要は、周囲に対してではなく、自分自身が自分自身の仕事であるにも関わらず何の判断もできなかったということをもって自分自身に失望したのだ。いや、失望どころではなく軽く絶望だ。無能だ。

英語が必要な職場では英語ができるかどうかではなく仕事ができるかどうかが重要だが、英語が必要な職場で英語ができないというのは仕事の能力以前の問題だ。

日常的に英語が必要な職場ではないしそれを求められているわけでもない。だから英語ができなかったことに落ち込んでいるわけではない。自分自身の仕事を自分自身でコントロールできていないということが腹立たしい。

今日になって追い討ちをかけるように英語の契約書が送られてきた。思わず電話したよ、「いつもは日本語の契約書のはずだけど」。まあ、しょうがないから読むよ。自分のこと信用してないからもちろん他の人にも読んでもらうけどね。

日本に来た外国人が、地元では教師とかやってた人でも簡単な仕事しかできないもどかしさがわかる気がした。言葉は前提だ。後悔先に立たず。