仕事と晩飯とその他

日記です。

惰性の王国〜重力の奴隷

体調がイマイチなせいか全てにおいて「こなしている」感じ。これではいかん。いかんのだが、花粉の影響もあって厳しい。生きていることそれ自体が惰性。

王子の駅に向かって歩いていると、突然、いつもの風景が圧倒的な立体感を持って押し迫ってくる。道端の看板、電柱や自転車、建物。一つ一つの質量、物体としての実体。空気を押しのけて存在する空間。重力を感じる。離れることのできない圧倒的な力で身体が地球の中心へと引き寄せられている。足が重力に逆らって地面を押しのける。重力の均衡で辛うじて平面を保っている地面は身体の重量を支えるにはあまりに軟弱に過ぎるのだが、身体はなんとかめり込まずに地上に留まり続けている。足場を確認しながらゆっくりと進み続けていると、風景の変化が時間の変化であることに気がつく。変化は時間によってもたらされる。重力も、時間の経過によってその力の存在を知る。朽ちていく光景は時間に支配されている。目の高さは脳の高さだ。地面から距離を置いて、まるで浮かんでいるように、脳がゆっくりと階段を降りていく。どうして距離を保てるのか。身体の存在が脳を支えている。身体は脳を支えるために存在している。

花粉のせいか、それとも木の芽時か。春の夕暮れ、物狂おしいほどに世界が新しく見えることがある。そう、世界は常に古く、常に新しい。この時期、頭の中の裂け目から一瞬だけ本当の世界が見えているのかも知れない。よく寝たら、またありふれた平凡な世界が戻ってくる。

でも、眠れない。