仕事と晩飯とその他

日記です。

粗製濫造の遠因

「<a href="http://plaza.rakuten.co.jp/kaikeishi/diary/200701080000/">この本はなぜ売れなかったのか?</a>」が完結していた。

「売れなかった」理由は以下の三つだそうだ。「4万部売れたにも関わらず、売れなかったと言っている」ことにはムッとするのだが、彼が挙げている「理由」そのものについては納得できる部分もある。ただし、後述するが、根本的なところが「ちょっと違う」と思っている。

1.「コンプライアンスというジャンルにニーズがなかった」
→テーマに普遍性が無かったということ。でもターゲットが絞り込まれてることは、むしろ4万部「も」売れた理由に思える。

2.「どれをアピールするのかで迷い、表紙に統一感がなくなってしまった」
→タイトルそのものに「コンプライアンス」、もしくはそれを強く想起させる言葉が含まれていない時点で実用書的なタイトルから考えると厳しいかと。それを「オビ」で解決しようとしている。確かに例として掲示されている「オビ」は後者のほうが話題が明確で良いと思うが、それを「表紙」や「タイトル」の中でどう表現するかが重要なんじゃないかな。オビはあくまでもオビだと捉えてない出版社多いのかな、最近は。というか「オビ」外したらわけわかんなくなるような本は文芸書なら有りだけど実用書的な発想ではない。まして棚差しで長く売る(そんな気は無いかもしれないが)ためには「オビ」ではない。

3.「本の露出がほとんどできなかった」
→本そのものだけでなく、書評や紹介といった露出は確保するの難しいからなあ。でも、ある程度の露出が確保できたから4万部「も」売れたという気もするけどなあ。

おまけ:「商品8割、営業2割」
→自分もその通りだと思っているが、「商品」の中で表紙やタイトルなどの「見た目」をかなり意識しているように感じた。これがオレの最大の違和感。著者や監修者、そしてもちろん編集者は、売れる売れないや見た目がどうこうではなく徹底的に中味の良し悪しにこだわるべきだと思っている。特に編集者。著者が「売れる売れない」を意識したらそれを叩きのめすぐらいの気概があってこそいいもん作れるんじゃないのか?

著者に迎合したり営業の言いなりになったり適当に仕事をこなしたりしているようでは「内容」の良し悪しに対してこだわることなど不可能だと営業一筋の私は思うのですよ、編集者の皆さん。

どうでしょうかね。