仕事と晩飯とその他

日記です。

出版社は企画編集だけやっていればいいのか?

業務のアウトソーシングについて思うところは多々ある。どの業務をアウトソーシングすべきなのか。なぜ、その業務はアウトソーシングされてしまうのか。その業務をアウトソーシングして良いのか。営業代行が増えているが、なぜ出版社の基本的な機能である流通や販売に関する業務までもが外注されてしまうような事態に陥ってしまったのか。バブル期の出版営業は大きな問題を抱えたまま会社から追い出され、追い出されたまま改めてその仕事を請け負うという不可解な状態に置かれている。でも、あまり同情できない。出版営業が外に出されてしまうという時代を作ったのは実は彼らだ。誰が悪いという言い方は好きではないが、どうしてもバブル世代には好意的にはなれない。営業と分離した制作や企画などという状況はなぜ生まれてしまったのか。しかも彼らはまだわかってない。規模が小さいからこそ企画編集と制作・販売・流通は不可分だったはずなのに、それを意味も無く分けようとしている。そこらの出版社を見てくださいよ、社内的に製造と販売が分離していたり別会社持ったりしている例は多いが、それと「外注」はまったく別の次元です。

出版社にとって企画編集と制作が非常に重要であるということは理解しています。でも、思いが募って本を作るというだけなら今も昔も印刷所に原稿持って行けば手軽な値段で作れるわけです。自費出版や同人誌と出版社のどこが違うのか、それは販売・流通ですよ。そこは本来切っても切り離せないし、出版社を中間業者として敵視するようなライターなどが中抜きを目論んだとしてもそんなにうまくはいかないのが現状じゃないですか。流通だって「e託」があるじゃない、って言われるかもしれないけど、小売が一店舗で成立する商売には限界も不安もあるんじゃないかな。

データの云々も、自分の会社だからこそ全部を丸裸にして考えられる諸々があるわけですよ。売上データだけを切り離して考えたりするのはどうだろう、なんか狭い視野でしか捉えられないと思うんだけど。

それ以前の問題として、バブルの頃の皆さんはデータとか気にしてないんだよな。確かにヒトのつながりも押しの強さも大事だけど、それだけ(の会社ばかりではないけど)でやってきたツケが回ってんですよ、今。というよりもっと直接的には、それだけでやってきた営業は要らん、ということで切り離されちゃったんじゃないですか? どうですか?