仕事と晩飯とその他

日記です。

書かない嘘。

日曜日の午前中に1995年に買ったのにずっと読んでいなかった『ダブ号の冒険』を一気に。初めて読んだのは絶版になった別の版で、確か小学4年生の時だった。1965年に16歳の少年が単独で世界一周のヨットの旅に出る。冒険の模様はナショナル・ジオグラフィック誌で紹介され、大きな話題を呼ぶ。その少年が冒険後にまとめた手記がこの本。原題は『DOVE』で映画化もされている。海洋ものというよりは、止むに止まれぬ冒険心によるビルドゥングス・ロマン的な表現と途中で出会って結婚するパティ(「ラマーズ法による出産までが描かれる)とのロマンスが主眼になっている。読みにくい本ではないと思うので、こういうのはやはり原著で読んでみたい気がする。

オレが好きそうな本ではあるのだが、しかし、小学4年生(5年生だったかも)のオレには読み終えて何か違和感が残った。それがなんだかは全くわからなかった。「絵に描いたように自由な人生」が「絵に描いたよう」にしか思えなかったのかもしれない。

10年前に買ってから寝かせておいたのも違和感の理由がわかってしまったらどうしよう、と思っていたからだったようだ。

子供がそろそろ読めるかもと思い、確認の意味もこめて読んでみた。

基本的には面白かった。でも、40過ぎたオレには子供のオレがこの本に感じた違和感の理由がはっきりとわかった。

ノンフィクションには嘘は無いのが原則だとは思うが、嘘は書かなくとも「書かない」ということで真実をぼやかしてしまうことは無い話ではない。子供のオレもかなり敏感にこの本に書かれていないことを感じてしまったんだろう。今のオレはもっと厳しくそういうことを読んでしまう。悪くは無いけどきれいごとですよ、これは。

もう一つ。

冒険に危険は付物だが危険の質は時代や状況、そして、その冒険そのものの目的によって変化するのではないだろうか。目的があるから冒険が生まれ危険にさらされる。

『ダブ号の冒険』には「目的の無い人生なんて」という旨の文章があるが、これこそ違和感。この冒険に目的なんて無い。冒険のための冒険でも構わないよ、道楽だってわかってりゃね。浮谷東次郎の『俺様の宝石さ』もほとんど同様かな。道楽はけっこうなんだよ。でも、なんかね。似たような本多いけどね。

この著者がその後どうなったかについては残酷な気持ちとして興味がある。あとがきには書かれなかったことにも。