仕事と晩飯とその他

日記です。

時を超える。

100年でも200年でも1000年でも売れる本を扱いたいと思う気持ちがあれば、1000年前の本でも扱いたくなるはずだと思う。

でも、1000年前の著者から金はもらえないよね。自費出版ってのは今を生きている「著者」しかお客にできない時点で1000年前の著者の本でも扱える普通の出版社とは全然違う存在なのだということを理解してもらえますか。

純粋に「この本をより多く、より長く売りたい」と思ったら「その本の良さを共有できる人たちに売る」という行動は非常に合理的なんじゃないか。結果的にその思いは時代を超える。出版社は忘れられてもその本は忘れられない。それはそれでいいじゃないですか。出版にはそんなロマンもあるんだとオレは思ってますよ。

本は読む人がいるから時代を超えて存在できるんですよ。書く人を相手にする商売の「胡散臭さ」がわかってもらえるでしょうかね。

「いい本」だと思ったらやっぱりより多く、より長く売りたくなりませんかね。それは自然な気持ちだと思うんですよ。

だから最初から「売れない」ことを前提とした出版には疑問を感じます。いや、確かに数冊しか製造しない「本」があることも知ってますが、そりゃ「資料」か「工芸品」でしょ、普通の本と同列には論じられませんよ。

「売らない」ことを前提とした商売と「売る」ことを前提とした商売は全くの別物です。どちらかがどちらかを批判したりするのもナンセンスじゃないかな。

ま、「売らない」ことを前提としている人から見ると「売る」ことを前提とした出版は不自由で硬直しているように見えるかもしれないけど、どうかなあ。そうでもないんですよ、実は。逆に「売らない」ことを前提にしちゃうのってのは大事なポイントで逃げてる気もするけど、どうなんでしょうか。

いや、批判とかじゃなく。なんか、ずるいなあって思うこともあります。気分の問題ですが。