仕事と晩飯とその他

日記です。

媒体ではなく文体。

巡回先で「同じようなこと考えてるヒトいるよな、やっぱ」とか思ったらオレの発言の引用だった。編集者は直接言われたりしてるからな。嫌なこともあるだろうとは思うがそこは我慢が大人の態度ってことか。因果な商売ではある。

まあ、前回の日記については、著者だけでなく全般的に「自分ではコントロールできないことに不振の原因を求める」のがいかがなものか、って事なので、その意味では内容のせいにしたがる営業も著者のせいにしたがる編集も同罪。で、ゲームやケータイやインターネットのせいにしたがるのもおかしいって。ラジオが普及してもテレビが普及しても廃れなかった「紙のメディア」がそうそう簡単に消えるわけないじゃん。

「出版業界を変える」的な意気込みは良しとして、それを実践した結果が「自費出版(の相似形)」とか「クチコミ(と称してアマゾンや2ちゃんねるに書き込み)とか。なんなんですか、それは。

出版のツボは多様性にあり、今までの状態は多様性を維持するシステムとしては非常に優れた面も持っていた、ということを理解しないと先に進めないと思うよ。いや、もちろんその中に弱点ってのはあって、それは実は内容的なこととも結びついている。

自分なりに話を整理しつつ落ち着いた先は販売や流通の変化にはいくらでも対応できる(というかしなければ生き残れない)が、内容的な変化への対応は難しい。いや、とっくに気がついているだけでなく既に対応しているヒトも多いのだが、従来的な価値観と枠組みの中では難しい。

良いか悪いかは別として、こういう例えになる。
「ゲームにドラマ性を感じることができるか?」

面倒くさいのでもっと直接的に言うと、
2ちゃんねるにドラマ性を感じることができるか?」(『電車男』の例を引くまでもないが)

ネットが変えるのは媒体ではなく文体だ。

↑上記の文章でつい「書き」間違えてるが、本来であればキーボードで打たれるこんなちんけな文章であっても「書く」ものであるはずなのにネット上では「言う・話す」と書いてします。

ブログの登場によってそうした動きはさらに加速している。

出版業界には既に影響は出ている。『バカの壁』は口述だった。

「そうか! 口述か!」とか安易に受け取るバカは置いておく。

新たな「言文一致運動」とでも呼べるものを感じているのはオレだけではないと思う。

つうか、いっぱいいるか、そんなヒト。……。