仕事と晩飯とその他

日記です。

簡単なことと難しいこと。

他人による評価を鵜呑みにするのは一番簡単じゃないかな。というより、自分で評価しようとも思わないヒトは意外と多いのかなあ。「誰々が言ってた」とか「何々の本に書いてあった」とか。大人も子供も関係ないなあ。

悪いものを「悪い」と指摘するのは実はそんなに難しくないと思うんだけどなあ。なぜならたいていのものは「悪い」点を持っているし、良いものに比べると良くないもののほうが圧倒的に多いからね。何でもかんでも「ありゃダメだ」って言ってたって多くの場合は外れちゃいないんじゃないだろうか。

良いものを「良い」と指摘するのは意外と難しいと思うんだよなあ。いや、なんでもかんでも「良い」って言うヒトもけっこういるけど、なんなんだろうね、アレ。どうでもいいと思ってんだろうな。どうでもいいの「いい」なんだろうな。言ってるそばから忘れてしまうようなモンはどうでも「いい」んだろうな。評価を下すことが難しいってことがわかってるから逆に何でもかんでも「良い」ということで評価するという行為から逃げてんだろうか。そうか、何でも「良い」っていうのは結果的に何でも「悪い」って言うのより簡単だってことか。なるほどねえ。弱気っつうか「いいヒト」でいたいんだろうねえ。

「良い」ものがなんで「良い」のかをきちんと説明するってのはかなり難しいんじゃなかろうか。というよりそこまでできるヒトは実はあまりいないと思うんですがどうでしょうか。評論家に求められている能力はこの辺だと思うんだけどなあ。悪いものをけなすことではなく良いものがなぜ良いのかをキチンと説明できる能力。意見の一致を恐れずに良いものを「良い」と判断し評価したうえで的確に批評できるというのは、やっぱすごく難しいよ。

「良い」ものを作り出すことの困難さは自分には想像すらできないもののようにも思える。良いものを作る奴ってのはやっぱ尊敬に値すると思うよ。適当にではなく真剣に「作る」という行為と向き合ってる奴。時代を超えるようなものは奇跡の産物なんじゃないかとすら思う。多くのものはどんなに真剣に作られたとしても意外と簡単に忘れられる。いい加減に作ってちょっと気が利いてる程度のモンのほうが残ることもあるがそれも結局は忘れられる。大抵の作品は忘れられる。全部が不滅ってことはない。結局、忘れられる期間が短いか長いかだけの違いなのかもしれないねえ。