仕事と晩飯とその他

日記です。

復路。

で、復路は『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062858/">ウェブ進化論</a>』。

いくつか。

まず、頭の柔らかい年寄りには触れているが頭の固い若者(年齢だけは若いが中身は年寄り以下)には触れていないということ。若さを肯定的に捉えるために意識的に触れていないのか彼の周りにはそんなクズ野郎はあまりいないのかそれともいたとしてもサクッと切り捨てているのか。ちょっと気になった。

もう一つは、ネットに表現者があふれ出す的な話。個人的には新たな才能の表現の場としての可能性より淘汰される仕組みとしてのネットのほうに期待している。自称も含めた「表現者」は今でもうんざりするぐらいいやがるので。その点はこの本でも触れられていて納得。で、次なる疑問は「でも、そんなに表現者が増えるのかなあ」ということ。この点についても「高速道路の後の渋滞」で触れていたのでこれも納得。で、それも踏まえて、有象無象は「表現」ではなく多分「評論(という名の感想文の垂れ流し)」に流れるであろうと自分は思う。その中には価値のある批評もあるだろう。が、一般的にはネットは表現者ではなく自称も含めた評論家を大量に生み出し、結果として従来の権威は失墜する、んだろうな。というか既に感想文しか書いてなかった評論家は絶滅しかかってるが。だってネットに転がってる面白い評論とか当事者の話に比べるとねえ。

大体、評論家なんてのは「当事者にもなれないくせに安全な場所からエラそうなことを抜かしてやがるクソ野郎」という「傍観者」より性質(タチ)が悪い類に向けた悪口として使われていた時代もあって、オレなんかは「キミは評論家だね(冷笑)」とか「この評論家野郎(怒)」などと言われると屈辱感で破裂しそうになったもんだが(何歳なんだ、オレ)、その辺、どう思いますか、皆さんは。

いや、もちろん、身を削って対象と向き合い真摯に批評している評論家がいないなどと言っているわけではないです、念のため。

最後のほうの「転職を前提として考える」ってのを読んで腑に落ちた。そう、今の会社や身分が安泰だとは思っていないことを行動の原則に据えるってのは、かなり大事なことだ。オレも安住している場合ではないな。