仕事と晩飯とその他

日記です。

そして自分は恥ずかしいぐらい空っぽだった。

二度目に行った大学の連中はどうしようもないぐらい自分のやりたいことを抱えていたりやりたいことを見つけようと足掻いていたり。自分のやりたいこと、作りたいものが当たり前のように存在したりしなかったり。さらっとこなす奴もどっぷりとつかる奴も。で、そんな中自分は年上だからとエラそうに語りながらそうしている自分の空虚さにいつも恥じ入っていた。自分に出きる事ではなく、自分のやりたいことは何なんだ。結局、裏方になるべくして裏方になったんだと思う。できれば憎まれるぐらいの裏方っぷりを発揮したいところだ。

エロから哲学までありとあらゆる主義や主張についてのパトロンとしての出版というものを夢想する。で、貧乏なパトロンってのはありえないでしょう。どうしてもこれだ、てのを気軽に主張できる人は羨ましいが、主張するならするで作るだけでなく知らしめるための方法についても考えたほうが良いんじゃないだろうかと勝手に思うんですよ。まあ、「作る過程が重要なんだ」って言われるとそれまでですが。

金太郎飴書店の続き。で、個性的な品揃えのコンビニってのはどうですか? 最近はそういう方向性も考えられてるみたいだけど、「どこに行っても同じサービス同じ品揃え」ってのがコンビニの良い点なんじゃないのかなあ。海外に行ってもマクドナルドに行ってしまう人の感覚。個性って疲れる。平凡って楽だ。そうした感覚は特殊なものではないと思う。むしろ普遍的だからこそのコンビニや居酒屋チェーンの発展なわけだ。

つまり、ごく一部の本好きと自称する人たちが「どこにでもある本しか置いていなくて自分のお気に入りの本が置いていない金太郎飴書店」に物足りなさを感じるのと同様に、より多くの人にとっては「個性的」な店は「話題のベストセラーも置いていない品揃えの全然良くない店」であるかも知れない。気軽に金太郎飴書店とか言う人はそういうことを考えたことがあるんだろうか。それとも「そんなつまらん本を読みたがる読者が悪い」とでも言うんだろうか(ていうかそう言ってんだよな)。

オンライン書店が盛り上がってきているのは日本全国どこでも同じ本が買えるからだ。一方、近所の本屋ではベストセラーさえ買えなくなっている。配本もなければ出版社のフォローも無いからだ。多様性を維持していた街の本屋の崩壊は何か大きなものの消滅につながるように思えてとても怖い。