仕事と晩飯とその他

日記です。

実用書とエロ本。商売としての出版。

土曜日。文庫版「誰が本を殺すのか」上・下と「G戦場ヘブンズドア」1・2・3購入。「G戦場〜」、かなり激しく感涙。エエ話や(出来すぎだが)。と同時にマンガによるマンガへの言及と言うのが深化しつつある現状に、マンガというジャンルの隆盛とそれによって発生した「私小説」的な匂いとさらには衰退への兆しも感じてちょっと寂しくもある。「サルまん」の衝撃はけして「私小説」的なものではなかったのだが……。
「本コロ」(って言って欲しいんですかね、あんまりかっこよくないッス)、とりあえず単行本は持ってるんで文庫版の前書きやらあとがきやら&文庫オリジナルの『検死編』だけ先に。
コミックと雑誌を押さえたからって『「本」については、もはや書くべきことはほとんどない。』ってのもねえ。実用書(広義の意味での実用書という意味であり、学習参考書や旅行ガイドなど、また、コンピューター書なども含む)やエロ本(あ、これも実用書?)などは「本」じゃないってことか。図書館にこだわっているようだが、図書館に置かれない本は本じゃないのかも。でも、それらを除外して商売としての出版にどれだけ迫れるんだろうか。本屋は文芸書とか人文書だけを売っている場所ではないし、出版流通というものもそれらだけを前提として存在しているわけではない。学参・実用書・エロ本を語らずに本屋が語れるのか?(本屋大賞に感じた疑問もこれとほぼ同じモノ) まあ、商売とかにはあまり関心がないんでしょうね。あと、「磁力と重力の発見」について全共闘世代の郷愁でしか語ってないのは「本」を論じる方としていかがなものでしょうか。そんな理由だけであんな本が10万部も売れるわけないじゃないですか。「懐かしい」から売れたんではなく「面白いから」売れたんです。読みやすさも、口述筆記の「バカの壁」にはかないませんがF原書店の本よりはるかに読みやすいですし。商売について関心ないのと同様、物理学が本来持っている、ロゴスを読み解こうとする真摯な取組みから醸し出されるロマン、とかには全く関心ないんだろうなあ。理工書って名著(例:古くはファラデーから、ガモフやファインマン、最近だとホーキングとか、日本だと、とりあえず中谷宇吉とか)多いんだけどなあ。遠いなあ。