仕事と晩飯とその他

日記です。

ほぼ日というメディア その3

そういったことを踏まえたうえで、自分としてはあえて書店で本を売るということにこだわりたい。良い本だろうがなんだろうが目の前にある本を売る。内容が重要なのは重々承知しているので目に余るような粗製濫造には口は出すが、基本的には好きなもん作ってくれ、売るから。たとえ失敗であったとしても、失敗自体を共有できる環境というのはサラリーマンだろうが自営だろうが職人だろうが、それはそれで豊かな仕事環境なんじゃないだろうか。余計なことにちょこちょこと手を出して面倒な仕事を増やしているだけにのように見える全ての諸々も、自分の中では明確に「本を書店で売る」という一点に集約されている。

ブランドを立ち上げ「消費者」を創造する、という手法には脱帽するが、それは「本」という商品を売るための方法論の一つでしかない。他の技術や取組を否定するものではないはずだ。良いモノを作れば必ず売れる、というセリフを職人が言うのは説得力があるが、マーケティングの達人にそれを言われても、なんだかなあ、というのが正直な感想だ。

あと、こんなことはオレが考えることではないのかも知れないが、リアルな書店という場の衰退は出版業界だけではなく、社会そのものの衰退につながってくるようにも思っている。結果的にほぼ日の取組も回りまわって本屋を活性化しているように見えるが、本当にそうだろうか。むしろ近所のリアル書店の無力感を演出しているようにすら見えるが……。

などとエラソウに思うが、正直ああいう方法で売れてんはクヤシイ。妬んでるというより「羨ましい」ほうが強いが。糸井重里って人は根っから商売人だよなあと思うし、鼻の効き具合というか変わり身の早さというかに絶望的なぐらいに鋭さを感じる。但し、乞われて請けた仕事よりは自ら関わっていった仕事のほうが面白みがあるような気もするが。要は『成り上がり』は面白いが『アー・ユー・ハッピー?』は普通っつうか。技術ではなくセンスにより輝きを持つ人なんだろう。だからこそ色んなところに影響を与え続けているわけで。まあ、どうやったらああいうことが出来んのかなあと不思議に思う時点で既にオレの負けなんだろうな、きっと。