仕事と晩飯とその他

日記です。

いつか来た道

某メーカーの件、もしかしたら頑張っているのはこちらだけで、いいように使われてしまっているだけかも、と明け方からそんな考えが頭を回り、結局起きてしまった。

昨日の賞についても、事前に確認したにも関わらず、結局オレの名前は何処にもなく、見ようによっては制作担当者の手柄をあたかも自分も関わったかのように吹聴しているように見えなくもない。自分の名前が出る・出ないについて言えば、当事者として発言できるかどうかに関わるわけで、その意味では名前が出なければ当事者ではないと判断されても仕方がない。そうなるのがイヤだから名前が出るかどうかは随分念押ししたつもりだったが、先方の営業担当者からしてみればどうでも良いことなのだろう、「誰の名前も出ません」と言っていた。広告出稿の決定者がオレであることを知っている広告代理店の人間は、逆にオレにやたら気を使っていたが、それも普段窓口になってくれている担当者が入院している以上、先方は決裁権を持っている相手として尊重しているだけだろう。

面白いから色んな事をやるわけだが、それらのことが果たして自己満足で終わるのか、自己満足ならまだしも、ちょっとしたことがきっかけで蚊帳の外に置かれ徒労感だけが残るのか。

長い目で見ればどんな事でもプラスになるとは思うが、だからと言って短期的な損得に目を向けない(もしくはそれを考える事を恥と思ってしまい、結局自分にとってマイナスの方向性を選択してしまう)のはあまり良くない。というより、それはいつか来た道であり、いつも通っている道であり、自分の親も通った道だ。その道は希望に通じているのだろうか。通じていないのだろうか。さらに言えば、もともと道などないのに、まるで何かに導かれるように進み、それがあたかも自分にとっての道になってしまっているのだろうか。

貧乏な時の友達。縁の下の力持ちと言えば聞こえは良いが、非力であっても舞台上に立っていればライトを浴びることもある、奈落にはスポットライトは当たらない。

何かザラッとした感覚に捕らわれ始めてきた。あまり良い傾向ではないようだが。

と、さっきまではまた迷走を始めそうだったが、メシを食ってドリンク剤を飲んで胃薬を飲んで思った「それをさらに打ち破るぐらいつんのめって進むってのもありだな」。

しばらくはそっちだな。そのうちなんかが溢れ出すだろう、色んなモノが、多分。