仕事と晩飯とその他

日記です。

本というのはとても自由なメディアだった。

先日のでるべんでの話の中で、版権を売る(権利を譲る)会社を見極めるポイントとして「編集(者)」「翻訳(者)」「流通」の3点が挙げられていた。まず最初の「編集」については、マンガに対してクレイジーな部分がある、本気でマンガ好きの編集者であること。「翻訳」については原作のニュアンスを正確に現地の言葉に訳せること。具体的には日本で暮らした経験のあるネイティブと現地で暮らしている日本人をペアで。「流通」は印税や海賊版の問題と関連する重要な課題で、市場調査に数年かける場合もある。

その話を聞いて思ったが、ということは小学館が版権を売っている国は流通がある程度整備されていると判断しても良いのかもしれない。

幹事会の後、D社のKさんも交えて新年会。「本はメディアだ」との言葉に目からウロコが何枚も落ちる。文化や教育ではなく「メディア」としての書籍。いや、別に不思議でもなんでもないのだが、逆に言えばなんでも出せる、という出版活動の前提として、本は文化でも教育でも記録でもなく「メディア」だという認識があったということなのだろう。と、同時にオレでも本が出せる(書ける、ではなくて)という確信を得た。

というわけで企画案をSさんにメールで送信&TEL。

本を作るのは売るのよりさらに面白いんだろうか。やってみないと分からないんでやってみようかと。

略歴。除籍ではなく中退だということが判明したのはつい最近の話なので、それまでは中退を除籍と詐称していたことになる。

非常にリアルな夢を見た。大学の新しいキャンパスの完成発表の会場。天才と呼ばれたデザイナー(白井規久男という教授らしい)が作り上げた、直線的な建物の屋上に配置された日本家屋や、元々は墓地という環境を生かし、それと共生するオープンな大学構内を、女性学長が古いスライドや模型を使って説明している。建物や空間だけでなく、カリキュラムにまで彼の遺志が反映され、質の高い講師と生徒が、技術を超えた物事の本質にまで迫る授業を作り上げていく、「奇跡のデザイン学校」。会場を抜け、構内をうろついてみる。大きいがオープンな講堂に入ってみる。講師も生徒も英語・ドイツ語・日本語ペラペラだったり、あちこちで同時多発的に講義が行われている広い教室の床や机には参考図書が乱雑に山積みされ、生徒の私物の楽器が転がっている。天井は高く、壁はほぼ全面窓となっている。