仕事と晩飯とその他

日記です。

「大学生は本を読めない」

文系研、「音声サンプルCD、使ってください」と声をかけ、30枚近く。これでようやく軌道に乗りそうだ。直接商談できなかったお店には月曜以降に再度案内(と渡せなかった注文書等)を送付の予定。

斉藤美奈子さんの講演が良かった。
「大学生は本を読まないのではなく、読めないのだ。子供の本から大人の本へと移行するべき時期である中学・高校(思春期と言い換えることも可能か)の頃の読書経験の不足が一因、冊数だけ見ると豊かに見える小学生の読書について学校現場では「自分からの視点」での読み方を強要しているきらいがあり、結果として子供たちの読み方が浅くなってしまっている、つまり、感想を述べることは出来ても読み解く(批評する)という能力が鍛えられていないということも原因の一つ。
「本を読めないヒトに対して読めと強要することは意味がない。よしんば彼らがそれを読んだところで批評する能力(メディア・リテラシー)を持たない彼らは鵜呑みにし、感想を述べるに過ぎない。
「大学生に限らず本を読みたいと思っている人間は多い。が、今までの書評がそこ(本を読みたがっている人々)に本を届けるべき機能を果たしていたかどうか。
「自分は書評という形で子供たち(と大人)の読書体験を深めるために努力してきたつもりだが、今後はもう少し直接的なほかのことも計画している。その際は大学生協(書店)とも共闘できるのではないかと期待している」。

拍手。

つい、大人(特に中年男性)の非読書傾向などについて質問してしまった。

「あ、大人はもっと駄目です。でも、大人はもうほっといて、未来のある子供について何かできないかって気持ちですね」。

苦笑。

読書会の可能性に触れていたが、下手をすると日本より専門性・趣味性が強い本は書店で入手しにくい(そのせいでアマゾンが発展した)アメリカでは、読書会が力を盛り返しているそうだ。自発的に発生したものだが、出版社がそこに目をつけ、活動を支援している、らしい(金平先生のセミナーで聞いた話)。つまり読書会の提案とは素人考えではなく、かなりのプロが練ったアイディアに自分には聞こえた。

家に帰って斉藤さんの話が面白かったことを「ナンシー関がテレビ番組ではなく本や出版を論じたらこうだったのではないか、という感じ」と妻に伝えたら、「アンタ、そりゃホメ過ぎだよ」と言われた。

今日も呑み。本屋の村。