未成熟であることを許容する社会の豊かさと貧しさみたいなこと
前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)
- 作者: 濱野智史
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/12/07
- メディア: 新書
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山形先生はエライなあ。こういう本も読むんだ。
俺は読んでないし多分読まないと思うけど、「いい年して……」っていうのはなんかなあ、オレもそう思う。
たまたまシンクロしたけど、リンク先で言われている「世界の豊かさ」みたいなものについてオレは未成熟であることを許容し得る社会の豊かさみたいなものなんじゃないかと思ったわけで、それは本当に有難いと思うけど、それと同時にそういう社会ではいつまで経っても成熟できないもどかしさと未達感というかなんというかそんなものがいつの間にか充満してしまうのではないか、そんなことも思うのだ。昨日思った「若者のまま(のつもりで)気がついたら年寄りになっている国」みたいな。ヒッピー文化みたいなのに感じる違和感と同根なのかなあ。オレは社会学とかあんまり興味ないんだけど、ひょっとすると現代における自殺の理由っていうのはこの未成熟でいられる社会というものと関連があるのだろうか。素人考えでしかないけど、簡単に絶望できてしかもそれが死と直結する回路っていうのにやや成熟していないものの見方を感じる。大人は早々簡単に絶望しないし絶望して自分が嫌になったところでそういう自分に諦めながら日々をダラダラと過ごせるものなんじゃないかな。違うかな。それともそもそも絶望なんかしてる暇ないのかもな。ああ、そうか、暇なのか。それもあるかもなあ。