仕事と晩飯とその他

日記です。

その手が無いわ

就職希望者に対して気軽に「電話してみたら」とか「メールしてみたら」とかアドバイスするヒトは採用関係の仕事やったこと無いんだろうなあ。

一昔前は「家業を継ぐ」という選択肢があった。「親が倒れて実家の家業を継ぐことに」とか、そういうの。実際には、何社か働いてみたけどイマイチしっくり来なくて実家で親の商売手伝いながらなんとなく「このまま継ぐのも悪くないなあ」みたいなのも少なくなかった。もちろん、元から家業継ぐつもりで親が元気なうちに他の仕事で経験を積んでおきたいという例もある。

でも、今はその手が無い。

親世代も会社員や公務員だったりするから、というのもあるのだろう。さらに個人経営の商店や飲食店は減ってるし、生き残っている個人経営の商店や飲食店も例外的な強みを持っている一部を除けば子どもに継がせる気はあまり無いだろう。

ウチの実家は個人経営の寿司屋だが潰れた。最後のほうは生業として成立しない収入しかなかった。あの頃、母ちゃんが税務署で「こんなに少ない売上で家族四人暮らせるわけないでしょ」と、暗に嘘をついているだろうと言われ、「本当にこれだけの売上しかないんだ」と泣いて怒っていたのを覚えている。悲しい想い出だ。

それはさておき、ウチの実家ですら潰れる数年前からはサービス券(10回頼むと生寿司一人前無料)を出してみたりしてみた。チラシのポスティングは、その当時コピーがなく、印刷も(極貧のウチの実家的にはかなり)高かったのでやめたんじゃなかったかなあ。潰れそうになっても毎日のようにやってくる常連のお客(つけで飲むだけで金の払いは悪かった)のひとりにオレがバイトしていた新聞配達店(その後潰れる北海タイムスだった)の親父がいて、新聞に折り込み広告入れると幾らだとかそんな話をしていた。そういえばつけで飲んで踏み倒す客もいたなあ。初めての見知らぬ客に酔っ払った親父がいいよいいよとつけでどうこうの時はガキのオレも呆れた。これも悲しい想い出だ。

話がそれた。

個人事業も工夫で何とかなるはずだ、みたいなことを言うヒトがいる。オレのガキの頃の実家の商売の感覚としては、普通に商売が回ってる時は工夫がどうこうなんて考えなくても暮らせる程度の収入はあるし、それでいいやと思えばあえて工夫せずとも回る。言い方は悪いが、あまり向上心がないうちの親にとっては居心地は悪くなかっただろう。そこで「もっともっと」みたいな気持ちを持って工夫していくヒトは店を大きくして、それこそ支店を出したりするのかも知れない。けれど、ウチの親のように「食っていける程度に稼げれば」と思っていたら経営や商売の拡大について面倒な工夫なんてしない。いや、むしろそんな工夫をしたくないから個人経営で気楽な商売をやっていたいわけで。あくせく工夫して店をドンドン大きくしてとかそんなことができるんだったら自分の店で毎日酔っ払ってたりしないし、そんなことをしなくちゃならないんだったら修行していた店でそのまま職人やってる道を選んでたんじゃないかなあ。

なんというか、そこには多分、寿司屋の親父と実業家との違いみたいなものがある。みたいなものではなくそういうことなんだろう。職人と経営者の違いも近いかもしれない。自分の仕事に関しての工夫はするけど経営に関しては無頓着というか。個人経営の店ってそういうところが多かった気がするなあ。作るものに最低限のこだわりはあったりするわけよ、だけど、なんていうか、常に高みを目指して常に向上し続けるみたいなのとも違うんだなあ。どちらかというとそういうのが苦手で、だからこそひとりで気楽に商売って感じだった。そんな面倒な工夫とか向上とか苦手だから自分の店で自分の好きにやる、みたいな。まあ、あと、職人としては独立は当然の帰結みたいな雰囲気もあったのかも。さすがにその頃は知らないけど。

そんな、あまりガツガツしていない個人経営の店でも昔はそこそこ成立してた。

でも、どこかから、個人経営の店でも「チェーンに負けないこだわりの料理」だとか「マニュアルでは味わえないサービス」だとか「空間ににじみ出る親父さんの世界観」だとか「長く受け継がれる伝統」だとか「圧倒的な立地」だとか(まあ、オレは立地が大きいと思ってるんだけど)、適当にやってる以上の付加価値がないと店を維持することさえ難しくなってしまっているわけで。

今になって思うと、ウチの実家の場合は住宅地なんで元々出前の比率が高かったのに父ちゃんも母ちゃんも免許持ってなく配達エリアが狭かったのは致命的だった。母ちゃんにいたってはチャリに乗れないし。近所にできた「たか寿司」が出前エリアの広さを新聞の折込広告であたりにばら撒いた時にほぼ勝負は決まっていたということか。その後、「小銭寿司」の進出により我が家の商売ほぼ壊滅的な被害を受け、中学生のオレがチャリでの配達エリアの拡大に貢献はしたものの冬になるとチャリは使えないという北海道の季節的なハンディキャップもあり、その数年後に実家の寿司屋は潰れた。サービス券を作ったのはその頃だけど、中学生のオレが配達に行くと9枚のサービス券を出してオレの持っていった一枚と合わせて10枚になるから一人前ただにしろという客がけっこういて辟易した。モンスターカスタマーとかそんな言葉はなかったけどそんな客は昔からいた。本当に悲しい想い出だ。

またそれた。

ノマドがうんちゃらとかフリーランスがどうこうとかアレだけど、昔だって家業継いだり脱サラしたりって話は沢山あった。あったけど、ネットでどうこうではなく商店や飲食で独立する(脱サラ独立含む)例は多々あったけど、今はどうなんだろう。

正確な数字を見てどうこうという話ではないので感覚でしかないのだが、高齢者の再就職が大変な状況を肌で感じつつそんなことを思う。

それはオレにとっても他人事ではない。継ぐべき家業を持たないオレにとって万が一の「次」は常に考えておくべき課題だ。その選択肢は、あまり多くはない。

全然話違うけど、最近、芸能人の世襲って多いのかなあ。子どもにしてみると、その世界に憧れがあるっていうより他の世界を知らないからっていうのはあるんだろうな。オレも小学生の頃までは遠足のお弁当が寿司なのは当たり前(だけど恥ずかしい)と思ってたしなんだかんだ言っても寿司屋を継ぐのかもと思ってた。

世襲が多い業界というのは親が「継がせたい」と思う経済的な旨みや仕事的な面白みがあるんだろうな。医者とか弁護士とか。でも、それが階層として固定されていくのはあんまり望ましくないと思うけど、そのため(階層が階級として固定されないため)にどうすればいいのかっていうのはオレにはちょっとわからない。