仕事と晩飯とその他

日記です。

某社の求人に思う

仕事を探すほうと探しているヒトを選ぶほうとでは、そりゃもう文句無く選ぶほうが強い。しかも、実体とは別のところで人気のある企業であればそれはもう。だから、応募してくるほうに条件を課したくなる気持ちはわかる。履歴書送り返すのも大変だしね。でも、それでもやっぱり募集しているほうが圧倒的に強いのだということに無自覚なのはいかがなものか。

職安で求人をかけようとすると年齢や資格等での絞込みに対してどうにもこうにも窮屈な対応しか返ってこない。そういうハードルを設けなければ手間がかかるのはその通り。だけど、なんというか、受ける側にだけ一方的に負荷をかけているんじゃないかという可能性もちょっとは考えてみようよ。

受ける側にコネを求めるのであれば、採る側にだって「常日頃からイイのがいたら引っ張ってくるぐらいの覚悟」を求めたくもなる。

縁故や紹介を全否定はしない。公務員じゃないんだから、そういうのがあってもいいよ、別に。誰も困らない(そういうのでろくでもないのとって困るのは採った人たちだしね)。むしろそういう方向(いいのがいたら採りたい側が声をかける、もしくは「いいのがいたら紹介してくださいよ」という関係性を築き上げる)に進んでもおかしくないわけで、惰性のような「定期採用」にこだわる必要などまったく無い。

実際には数千の応募者が集まる人気の某社であっても出版不況の現状の中では入ってみたら火の車かもしれない。知の牙城的なイメージを抱いているヒトは少なくないが、本当にそうなのかどうかはオレにはわからない。

ただ、某社に限らず出版業界にはもう少しだけ「自分たちが実体と乖離したよくわからない憧れの対象になってしまっているかもしれない」という気持ちだけは持っていて欲しい。殿様商売って言葉がちらちらし続ける。

いや、それも本気で「自分たちは憧れの対象となる職業である」とか思ってる、要は狭い世界での天狗になってるようなら末期症状なんだけど(で、正直に言うと某社にはそういう意識をちょっとだけ感じることが無いわけではない。もちろん全員がそうだということではないと思うけどね)。

【2月4日追記】
天狗になってるんじゃなくて、逆に自分たちの影響力について思いがまったく及んでいないけっこう軽い気持ちでの行動だったのかもしれませんね。

今回の件で思ったのは、「コンプライアンス」って概念はまったく普及してないどころか皆さん否定的な方向性なんだなってことですね。あと本当に心の底から考えさせられたのは、古い体制の業界を非難していたはずの人々ですら今回のあまり考えた結果とも思えない行動を褒め称えているという現実について。狭い世界の伝手で回してたからこその現状のドツボなんじゃないんでしょうか。内部からも外部からも変わりようが無いのであれば現状は変えようがない。日頃、自分の仕事についてはやや悲観的に取り組みつつ大きな流れには楽観的でしたが、今回の各所からの反応については業界の将来だけでなく雇用される側と雇用する側の関係についても絶望の萌芽を感じました。