仕事と晩飯とその他

日記です。

飽きたらやめればいいじゃない。

予算がついてもつかなくてもやりたいヒトはやると思うけど、予算がついたつかないがないと巻き込まれたくないヒトがいるのも事実で、それはそれでいいのではないでしょうか。とどのつまり、結果は予算の多寡で決まるものではないわけで、変な囲い込みでブレーキかけることがなければそれで良しかと。

場は違うけど、オレも完全に手弁当、どころか持ち出しを社に頼まなきゃいけない状態で頭抱えていたり。いくら吉野家牛キムチクッパ(並)280円(食べ物はなるべく噛まずに飲みたい俺には意外とヒット。生玉子か温泉玉子サービス中)で節約しても小遣いが増えるわけでもない。

入口が違うと違う視点になりがちだけど、実体として目指すところ(もちろんそれも違っていてもいいわけだけど)へたどりつくための手段としての呉越同舟なんていくらでも可能だと思う。実を結ぶか結ばないか、その実を収穫し味わうことができるか否か。ああだこうだ言いながら進んでいけばいい。

ああだこうだ言われる側と言う側であればオレならなるべく言われる側になりたいと思うなあ。そのほうが楽しそうじゃん、ねえ。言ってるだけだと、なんつうか、言われてる側の痛みに眩しさ感じたりすること無いですか? オレはあります。ああ、オレもやってみてえと思うことがある。というか多い。

だからまあ小さな機会ではあるけどせっかく何かやらせてもらえるのであればできる範囲ではちゃんと頑張りたいと思うわけです。まあ、結果としていいように使われるのかもしれないけど。

まあ、でも、よく考えてみるとできないことだらけだからなあ(能力の問題に限らず)。「できないこと」に飽きちゃってのかな。昔、親と言ってた「貧乏飽きたねえ」(<a href="http://bit.ly/9fgvmM">2009年8月19日の日記</a>)って感じと近いのかも。そうかもなあ。貧乏と同様に「できないこと」ってのも飽きたからってなかなかやめられるもんでもないけどどうしてもやめられないものでもないってことなのかなあ。

なんかそんなこと考えてるとポジティブな気持ちになってきたり。ちょっとやられてるのかも。