仕事と晩飯とその他

日記です。

続 マイナー・メジャーってことじゃなくてさあ。

まだ考えてる。

「皆が同じ方向を向いているという無邪気な確信」がマジョリティを志向する下敷きになっている場合と「皆が同じ方向を向くべきだという無邪気な信念」がマイノリティを志向する下敷きになっている場合とが、自分には同じ類のものに思えることがある。ある種の均質な状態がその先にあるという理想、いや、理想という言葉まで大げさでなくとも、なんとなく先にある「理解しあえる」ということへの信頼というか前提というか。

まったくもって理解しあえない異質さというのは何も宗教とか民族とかいった話だけではないと思うのだ。いや、「ヒトはそもそも理解しあえないものなのだ」などというつもりはなく、なんというか、もっと漠然と、多様な有様であって特に問題はないのではないかと思うというかなんというか。

「皆が楽しいことは皆楽しいよね」とか、「それが楽しくないヒトがいるコトだって皆がわかるべきなんだ」とか、「みんな」を志向する根底そのものが残念ながらオレには共有できないことがあるというか……。

なんでこんなこと考え続けてるかっていうと、実は、自分のほうが違うのかなって思ってるから。特別だとかいうことじゃなくて、「自分のほうが間違ってるんじゃないか」に近い感じ。いや、間違ってるとは思わないんだけど、なんというか主流ではないかな。傍流。で、もうひとつ、なんつうか自分にはないそういう考え方のヒトのほうが出版って仕事には向いてるんじゃないかってこと。要は、そう思えないオレは向いてないのかなってことで。

居心地の悪さで思い出した言葉がある。「広宣流布」って言葉。わかるヒトにはその居心地の悪さがすぐにわかると思う。

うーん、ホントにその言葉に対する居心地の悪さとか不安と近いのかな、俺の違和感。

まだ考える。