業界本食傷気味だがこれは読んでおくか。
<a href="http://d.hatena.ne.jp/chakichaki/20090819">『書棚と平台』(本屋のほんね)</a>
まあ、正直業界本は食傷気味だし、「出版」について熱く語る思いも義理もないのだが、これも読んでおくか。トーハンの仕入窓口に積んであったってことだから控除で買おうかな。
この本はまだ読んでないからわからんが、出版とか紙の本はなんだかよくわからないほど愛されているというのはどうやらその通りのようだ。自費出版に関連するトラブルも社長のための出版セミナーみたいなセミナー商売が成立するのも大抵は出版LOVEが原因にありそうだ。でも、本当に不思議なのだが、出版産業とか紙の本とかではなく、読んだ中身に対して感動したりそこから何かを学んだりってことなんじゃないのかなあ。それが形態とか(まあ、そこまではまだわかる気がするが)業界に対する思い入れになるのってどうなんだろ、つながってんのか? それとも何か別物か?
著者(原作)不要のオリジナルコンテンツとしてサプライズと楽屋落ちだらけのテレビ・バラエティ的なものはありなのかなと漠然と考えていたが、よく考えてみると自分がガキの頃読んだ畑正憲とか遠藤周作とか北杜夫のエッセイとかは楽屋落ちというか内輪のネタばっかだった気がする(しかもこれらは著者はたまたまだと思うが、それぞれ「ムツゴロウ」「狐狸庵先生」「どくとるマンボウ」などニックネームで呼ばれているという共通点があったりする。時代の空気を表しているのだろうか)。ちょっと後だけど椎名誠とか嵐山光三郎のエッセイにも似た空気はある。それより以前はよくわからない。でもそういえば広津和郎にそんなのがあった気がするな。戦後の私小説とかよく考えるとそんなばっかだ。『サザエさん』に出てくる伊佐坂先生と編集者のノリスケとか、まさにって感じか。みんなあれがやりたいのか? 『デジタルコンテンツをめぐる現状報告』の中で「最近の若い奴は紙の本が大好きで」という話があったが、それは漫画に言及する漫画の勃興によって読者と作者の間で何らかの共通基盤が形成されているからなのかもしれない。ひょっとして『サルまん』か? 皆あれがやりたいのか?
ということで次の世代を知るためには『BAKUMAN』を読まねばならないことに気がついた金曜日の朝、会社に行かねば。