仕事と晩飯とその他

日記です。

営業努力(補足)

POSデータとか、バカスカ売れてる本にはいらねえんじゃないのと思っていましたが、実際には最後の返品を防ぐために市中在庫を知る必然性があり、そのためにもPOSを含めたデータの重要性は高まっているようなんですよ。
それと、古臭い手法はアリだと思うけど、それがどういう結果を伴うかを考えないでやるのであれば、あんまり意味はないかと。手法が新しいか古いかじゃないんですよ、結果が重要。わかりやすい例で言うと「もう雑誌の時代は終わりだ、これからはWebだ!」とか言って広告を雑誌からWebにシフトしたとする。でも、重要なのはWebに広告出すことじゃなくて結果を出す、つまり売上を上げるということのはずなんですが、どうもその辺、手段と目的がない交ぜになってしまっていることが多い。
逆に「汗をかけ!」にばかりこだわって「営業は足で稼いでナンボ」のスタイルを貫いている社も少なくない。営業が足で稼ぐのはある一定の真実を含んでいるとは思いますが、それだけですかね。それだけの会社が成立してしまう背景というのを考えると空恐ろしくなる。まさに顧客の不在ですよ。メーカーである出版社と小売である書店の都合だけ。読者が欲しい本じゃなくて出版社が売りたい本の氾濫(まあ、それが現状なのかな)。
ちょっと話が逸れました。
目的が明確であれば手段はなんでもいいわけですよ。古い方法でもいいし新しい方法でもいい。新しいことだけがいいことで古いことはすべて否定されることではない。そんな単純な話じゃないのに、どうもそんな単純な話にしたがる人が多い。
うーーん、でも、古いことが否定される原因にはさっき脱線した「読者が読みたい本じゃなくて出版社が売りたい本だけが並んでいるじゃないか」という気分もあるのかもしれないなあ。それはちょっとわかる。どこの店に行っても同じ品揃えの金太郎飴書店など無い(なぜならどこの店も同じように売れ筋を揃えることはできないから)。しかし、読者の方を向いていない書店や出版社は多々ある。それが許される体質も、もちろんある。
アマゾンやブックオフTSUTAYAの脅威は、それが完全なものとは言えないとしても顧客の方を向き始めた小売に対して、いまだに様々な意味において「上から目線」を維持し続ける出版社が抱く違和感に他ならない。
などと朝っぱらからエラそうに書いてみる。