仕事と晩飯とその他

日記です。

編集の内輪話なんていくらでもある

<a href="http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7808-0117-0.html">『どすこい出版流通』</a>

編集者による編集の内輪話なんていくらでもあるが、出版営業の、それも書店営業ではなく物流や在庫管理といった裏方の内輪話はほとんどない。それが面白いか面白くないかと言われると間違いなくオレには面白い。謎が明かされるから。ただ、その謎を知りたくない人には面白くないかもしれない。あと、用語がわからないから面白くないという意見は「分かり易さとは何か」を知るためにもきちんと受け止めるべきであろう。勉強不足のひと言で片付けるわけにはいかない。
出版という小さな村でも大きな断絶はある。ファンタジーとリアリティの差かもしれないが、そう切り捨てるのは違うかな。出版幻想論って本あったな、読んでないけど。あれも出版営業の話で編集者からは痛烈に批判されたりしていたような記憶もある。
皆ファンタジーは大好きだ。オレも別に嫌いじゃないよ、ファンタジー。だけど、一握りの夢物語は見えない大勢の汗や知恵で支えられている。その仕組みが不要だとうそぶくことは可能だが、ひとつの仕組みを否定したところで別の大きなシステムと関係していないなどということはまったくない。文化と文明の違いとでも言おうか、それとも実業と虚業? うまい例えが見つからないが、無から有を生み出す産業の中で徹底的に有を扱っている部門から虚の部分をよくよく見直すことも必要なのだが……。声がでかいのはどちらかと言えばそれはあまりに明らかだ。出版自体が元々小さな業界なのにそこからの発信が多かったこと自体が不自然な話であったのだろうか。ま、でも、世の中で生き残るには大事な話だ、声のでかさは。
その声もかすれがちになってしまっていることに一抹の淋しさもあるわけだが。衰退産業の悲哀、なんだろうか。

追記)田中さんは病気療養に入る前まで週に一回は筑摩書房の倉庫に通っていた。形のある紙の本を身近に感じながら、それをもっと素直に扱うためのシステムをいつも模索していた。それを覚えているから自分も倉庫通いを続けている。我々が扱っているのは形のある本だ。滅びゆく産業であっても誇り高くあり続けることに迷いはない。