仕事と晩飯とその他

日記です。

検索の無かった時代

本屋に置いてあるだけ、でいったい何が悪いのか? アマゾンでしか買わない人にとっては「存在していない」かもしれないが、実際にはあるし売れもする。

それのどこが悪いのか?

とは言うものの、書誌情報が整備される中、そこからスポイルされかけた経験がある社の人間としてデータベースに存在しないことの恐怖はよくわかる。しかし、データベースにあることがプラスになる時代は既に終わりつつある。「データはあって当たり前」の次、そこに、今は向かい始めている。「データがあって当たり前」の状態は「データがあって当たり前なのでデータの有り無しが問題にならない状態」と非常に似通ってくる。それに近い状態の中にまさに今いる社の人間として、そこに大きな違いがなくなっていることも日々実感している。データがどうこうではなく本が「本屋に置いてあるから売れる(こともある)」事実になんら変わりはない。本屋ではなくリストで販売する類の本は別だが、本屋に置くのも見込み顧客にDMなりを送るのも「顧客のいる場所に働きかける」という根本はまったく一緒だ。オンライン書店にも顧客は多数いるからオンライン書店にも働きかける必要があるしネット経由で直接購入してくれる顧客もいるからサイトも作る。全く同様に、本屋で買ってくれる顧客もいるから本屋に置いてもらって客を待つ。簡単な話なのだが、返品がどうのこうのと言い出されるともう面倒で説明する気力も湧いてこない。そんなに返品がイヤなんだろうか(イヤなんだろうな)。「本屋にウチの会社の本の客は来ない」という判断は尊重されてしかるべきだろうとは思うが、では、いったいどこで本を売るのか。

※ここで言うデータの有り無しは「アマゾンに在庫があるかないか」の問題ではなく、その本が存在することが書店(アマゾン含む)が利用可能なデータベースの中に存在しているかどうか、ということになる。今現在それに最も近いのは(結果的に)アマゾンのデータベースだと思われるが、JPOの商品基本情報センターや国会図書館の更なる拡大がアマゾンを補う、もしくは凌駕するDBとなる可能性は十二分にある。「アマゾンに無い本は(この世に)存在しない」のではない。簡単な話なのだがこれも説明するのは骨だ。ITはIT以外を見えなくすることがある。ネットは全てではない。ネットは(かなり特異な)部分でしかない。