パクリじゃないよ!コラボだよ!
「パクられている」「被害にあってる」などと言われているらしい。
笑った。が、笑い事ではない。
「でも面白いから並べといたけどいい?」じゃなくてどうやら本気で心配したり憤ったりしているらしい。
エーッ?
ドジョウ本(ヒット作に追随する類似企画本)はある意味非常に出版的であるしそれを許容する土壌は何かを醸成するための畑になっていると昔から思っている。パクリなのかリスペクト(笑)なのか。小説でもマンガでもオリジナリティってのは安易な追随の中にも思わず生まれだされたりすることがあるから面白いわけで、その辺をどう寛容に受け入れるか、どこまでを笑って見過ごすか、その辺が鷹揚であったことが豊かな多様性を生み出しているのだろうと思う。
まったく蛇足だが、「同じものしか手に入らない」という意見はちょっと違うのではないかと思う。確かに入手しにくい過去の作品もあるが、それを差し引いても今の日本は多様な作品に触れられる環境としてはかなりのものであろうと思う。ネット上のアーカイブの出現によって状況は加速している。個人的には「もっと英語で読みたいという」欲求も手軽に触れられるネット上のアーカイブを消化したい、という気持ちとつながっている。「最近の作品は似たようなものばかりだ」という意見にもあまり与しないが、それ以前の問題として「最近のが気に入らないなら昔の読めば」という気もするし、「日本はつまらん」なら「英語でもなんでも勉強して海外の作品でも読めば」という気もする。
さておき、そういう土壌、つまり追随に寛容な土壌は時に追随を喜ぶ姿勢となることさえある。書店という「劇場」は本来そういう場であったと思うのだ。
面白がっていないという反応を聞いたとき、「あ、これやばいかも」とすぐに思った。『磯野家の謎』(飛鳥新社)が売れたら『サザエさんの秘密』(データハウス)を並べる、それはある意味オートマチックな反応である。
良し悪しはお客さんに判断してもらえばいい。
と、ここで非常に重要なのは今回はその「パクリ」まで意識して徹底的にやった「コラボ」なのだということだ。こっちはわかっててやってるんだ。
全然伝わっとらんことが、情けないというか。ここまで来るとこの空回り振りすらおかしいが。