仕事と晩飯とその他

日記です。

断裁される本のことを思う

先日のINCでも少し触れたが、紙の本というパッケージの脆弱性と返品の破棄断裁について。
ここ最近の本はとても綺麗で繊細だ。しかし、綺麗で繊細ということは汚れ易く痛み易いということでもある。日本の物流は素晴らしいと聞くが、確かにこんなに脆弱な本というパッケージを綺麗なまま製本所から倉庫や取次を経由して書店まで届けられるというのはものすごいことなのかもしれない。
だが、綺麗なことが当たり前になってしまったからこそ、ちょっとした汚損も認められなくなっているように思う。オンラインリアル問わず書店ではお客様からの要求にこたえて美本と交換することも多いはずだ。ちょっと割り切れない気持ちで、美術工芸品を扱ってるわけじゃないんだけどなあ、と言いたくなることもないわけではないだろう。
取次からの返品も、昔は十字結束の上下は紐が食い込んで使い物にならなかったこともあった。バケットになったおかげで汚損は大幅に減った。それでも物流の過程で相変わらず汚損は発生する。それに対して「もっと流通の改善を」と言うこともできるわけだが、最近の自分は「もともと紙のパッケージが脆弱に過ぎるのではないか」と考え始めている。紙の本に対して出版社と読者が美術工芸品のような扱いを要求していった先には「電子書籍の方が扱い易い」という結論も有り得るのかもしれない。
最近は学術書でも見た目に美しい装丁の本がある。そぎ落とされたシンプルな美しさというより過剰な、装飾としての美しさ。果たしてそれは本当に必要なことなのだろうか。
著者や編集者やその他色々な意味で関わった人々全ての思いが込められ綺麗に丁寧に生み出された本が結果的に売れずに印刷所から来た梱包のまま破棄断裁される時、それに関わった人間は何を思うべきなのだろうか。
売れなかったら次を作ればいいというのは出版の真実だと思う。それはわかっていてもやはり、本の告別式とでも言おうか、断裁に向き合うことは時に非常に辛い。
本が生まれた時の喜びが光なら、売れなかった本を断裁する時の哀しみは影なのだろうか。
単に倉庫や経理上の数字をいじっているだけではない。ある意味、出版という商売の業のようなものだ。生み出された本を断裁などというそんな悲惨な目にあわせない為には売るしかない。作っただけでは終われない。終わるはずがない。

自分はそう思っている。