仕事と晩飯とその他

日記です。

時代を共有するということ

年表見てたらグッと来た。まさしくセゾンというか西武の周辺にカルチャーを感じる高校生時代を過ごした自分としては渋谷PBCは終焉の中での影絵のような存在だ。ボクにとってのPBC富貴堂であり吉祥寺だったのだ。

最盛期を遠くから眺めていただけの自分にとっては乗り遅れた感がなかったわけではない。否定的な意味ではなくもう少し積極的な意味でいい本屋はたくさんある、というのが出版社で働くようになってからの正直な感想。PBC的なものからの卒業といった気分だったのかもしれない。PBC的というよりセゾン的、西武的なもの。読んでもいないのに『構造と力』を語り『ゲーデルエッシャー・バッハ』をさも買おうかどうか迷っているかのように手にとってみたり、つい勢いでバタイユの『眼球譚』を買ってみたもののどこがいいのかさっぱりわからず、内心では「ニューアカ泉昌之のマンガのネタになってるときが一番面白いんだよな」と思いつつそれでもやっぱり気になってフランス語の勉強しようかと参考書を買ってみたり。

バカだな。だから結局『バカドリル』的なものがPBCの打ち上げ花火となったのは正しい方向性だったのかも知れんな。

と、今ならそう思う。でもさあ、あの当時はカルチャーってホントにカッコよかったのよ。カッコ悪いけどカッコよかった。『金塊巻』には本気で泣いた。

久々にそんなことを思い出しただけではなく、「そういえばあの頃微妙に周辺で逆にガッツリしてるこんな感じの若モンがいたいたいたいた」みたいな感じの奴を10数年ぶりに目撃したりしてちょっと面白かった。どっちの大学にももういなかったな、そういう奴。メインストリームは表面的には消滅してしまったかのように見えているが、アカデミズムの現場は相変わらず確固として存在している。歩み寄る必要などないという頑固さは、自分が若い頃は反発の対象だったが、今となって思うと必要不可欠であり、それこそが王道なのだ。で、そこに乗れた奴はガッツリしてない。おっとりしてる。微妙に乗り切れない奴のガッツリ感はオレには良くわかる。でもオレはそこまでもいかないボンヤリさんもしくはショボショボだった。というかどこにも向かわないどこかに向かって心の中で吠えていたことを思い出してひたすら赤面。

全てが懐かしく全てがバカバカしい。余計なこと考えずにきちんと勉強しておけばどうだったろう。想像することも虚しいが。