青空文庫のDVD
<a href="http://mirror.aozora.gr.jp/kizokeikaku/">『青空文庫 全』寄贈計画のお知らせ</a>
DS文学全集は売れているのだろうか。
オレはiPodを持っていないのであれだが、iPodの容量がどんどん拡大していく中で、「容量を使い切るだけのCDを持っていません」ということを言っていた人は少なからず存在した。結局iPodは画像や映像も取り込めるようになったわけだが、何か象徴的な感じがする。過去の作品がいくらでも読めるのは悪くない。資料的な価値もあるし。
でも、ここで正直な気持ちとして疑問がある。消費者的な視点であると思う。
「そんなにいっぱいあっても読めねえよ」
もしくは、
「いや、いくらなんでも古いって」
文学史的な価値があったり歴史の証人的な作品であったりを原典で読むことにはとても大きな意味があると思う。自分にとっては外国語の著作を原著で読みたいというのとかなり近い。源氏や宇治拾遺、徒然草や枕草子あたりはしっかりと読んでみたいという気持ちがないわけではない。明治の頃、今につながる文学の系譜が勃興し始めた頃の作品を読んでみたいという気持ちも少なからずある。
それはそうなんだが……。
気が向いたときにアーカイブされているデータを気軽に参照できる状態はありがたいが、だからと言ってそればかりを読もうという気になるのだろうか。いや、そりゃいるさ、そういう人。だけど、どうだろうか。それは多数派なのか少数派なのか。いや少数派が悪いとかそういうことじゃなくて。
電子だ紙だとかの形態の問題じゃなくてね、なんかそういうことが引っ掛かる。いくらでも保存できるし数は増えているのだが……。過去のものの洪水。そんな感じ。
ああ、でもDS文学全集や今回の図書館寄贈は一部の出版社にとっては苦々しい自体かもね。この一見やけっぱちにも見える図書館寄贈という行動には一部の大手出版社に対するルサンチマンのようなものを少しだけ感じていますが間違ってるかな、オレ。でも、その辺り、同意というわけでもないけど理解はできる気もしますよ。ま、オレの勝手な思い込みだと思うけどね。