仕事と晩飯とその他

日記です。

作った後に何もできないと思うところが袋小路

昨日の日記でも書いた『作った後には何もできない』を考え続けていた。

逆に、一冊ずつそれぞれの書籍に商品ではなく作品としての思い入れがこめられているからこそ「こんなに頑張ったのに(売れないのは営業が)」となるのかもしれない。考えてみると著者もそうだ。営業にしてみればいつものように出される一冊でも著者にとってみるとかけがえのない作品で……

ここまで考えて何かがおかしいと思い続けていた何かが何だったのかが急にわかったような気がしてきた。

本の消費者である読者から見てみよう。その本が面白いとか役に立つとかは著者や編集者の思い入れと関係があるのだろうか。こだわって作った本だから必ず面白くて役に立つ、のか? 本なんて星の数ほどあるわけで、面白いとか役に立つとか思わなかったら次の本を探すんじゃないのか、普通は。

営業もそうだ。普通の出版社は著者や編集者のために本を売っているわけではない。誰のために本を売ってるのかというと、もちろん自分の生活のために本を売ってるわけだがそれは別として、本を買う人がいるから本を売っているのだ。書店もそうだ。商売だからは当然として、出版社のためとか著者のためとか編集者のためとかではなくどんな本であってもその本を買いたい人がいると思うからこそ本を並べ続けている筈なのだ。きれいごとではない。出版とか書店とかっていう事業が元々そういうものなのだ。

自分たちの作ったものに固執するのではなく、読者の求めているものに固執する。だから、提案が受け入れられなかったら次の提案を行う。幻冬舎の見城社長が文教堂の新年会で「売れてる本はいい本だ。売れてない本は悪い本だ。売れる本が作れなかったらまた売れる本を作るんだ」と言っていた本当の意味が少しだけ見えたような気がする。

知らない人に出会いの機会を儲け、買いたい人に確実に本を届ける。その意味でできていないことは多いし、少ない数であっても商売として成立する方向にも余地はある。でも根本的なところで目が覚めてきた。

作る人や売る人、運ぶ人や詰める人、仕分ける人やそれらを支える人々、褒める人や貴重なご意見を下さる皆様、それぞれが重要だ。でも、一番重要なのは金を出して買ってくれる人だ。

金を出す人にYesと言われる本を作らなければ出版なんて儲からない商売やってる意味ないんじゃないでしょうか。

どうでしょう。