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日記です。

書誌情報の意味 その1

「検索で出てくる本が全てではないし単なるキーワードの検索で得られる情報以上のものを提示できてこそ」、という新文化での島森書店大船店・田中茂店長の話はその通りだと思う。その通りだと思うが、今は何でも検索だし検索で出てこないと「ありません」という話になる。書店店頭での「ありません」は「(当店には在庫が)ありません」のはずだったのにコンピュータなどというもっともらしいもので検索することでこの(当店には在庫が)の部分が変化しているのを感じている。検索の結果は「(そんな本の存在が)ありません」という捉えられ方。冗談ではない。店頭の端末はそれぐらい説得力を持っている。

リアル書店の場合は書店員の検索スキルを上げて欲しいという話になるのかもしれない。商品知識の充実も含め実際にそういうニュアンスの話がされていないわけでもない。

でも、本や雑誌というのはもともと読者の方が詳しくて当然というものでもある。専門書の例など出すとわかりやすいかもしれない。何度か触れた「コン販研の棚分類」は「読者の方が圧倒的に詳しいジャンルで専門知識がない店員がいかに棚を作るか」という問いに対する一つの回答でもある。ただ、それはあくまで「一つの回答」であり、正解かどうかは別の問題だ。「検索」にしても「分類」にしても「数字」にしても、何か一つの指標だけで正解が導かれるというものではない。

「正解だと思えてしまうような表記」「正解だと思わせようという誘導」それらを「正解だと思ってしまう感覚」の話題はメディア・リテラシーやコンピュータ・リテラシーに関わるものになると思うのでここでは触れない。

問題はインターネット上の書誌情報、中でも検索可能な書店の書誌情報だ。ここでの検索の結果に表示されない本はこの世に存在するのか? そしてその書誌情報はどこまでカバーしていれば充分なのか?

世の中に存在している本を100%カバーしている書誌情報データベースは存在しない。ISBNのつかない本だけでなく書店に流通されない本や非売品の本などの存在を考えると100%というのは現実的には無理だろう。ではどこまでカバーすれば充分と判断されるのか。どこの書店でも書誌情報の整備は大きな課題だが漏れが発生しがちなのはどこなのか。(この項続く)