本を所有するしないの話
本を買うってことに皆けっこう色々な思い入れがあるんだなあ。
オレは本を売るのが仕事なので「買ってくれ」って思うのはあまりに普通のことです。
仕事の話を離れて本をヒトに薦める時の気持ちは「買ってくれ」じゃなくて「読んでくれ」だったりすることもないわけじゃない。自分だって子どもの頃は地域や学校の図書館に随分世話になった。岩波や福音館の箱入り児童文学なんて図書館に置いてなきゃ出会わなかったと思う。学校じゃまだ誰も借りてない本の図書カードにハンコ押すのが楽しみであえてマイナーな本ばかり読んだりした。小松左京や星新一や筒井康隆の文庫本は近所の本屋で店番のばあさんにたまにハタキで追い出されたりしながら最後まで読み通したりということもあったし、何年も探してインターネットの古本検索のおかげでやっと読めた本もあった。そんなことを否定しているわけじゃない。
本を買えなかった時に思ったのは「お金があったらなあ」だった。いつかは思う存分本を買ってやる。金は相変わらず課題だが今はどちらかと言えば時間や場所が問題だ。本を買っても読む時間も置き場所も……。
でも、本当はそんなことも言い訳で「この本は!」と思った本を買って読まない自分に忸怩たる思いがあるのだ。借りて読んだことに悔いは無いがわずかばかりのお金で買える本なのに買わずに済ませてしまったということに、その本に対する自分の向き合い方に、わずかばかりの後悔があるのだ。
もちろん、最初から図書館向けの個人が買わない本は別。岩波書店の『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4000081616">レオナルド・ダ・ヴィンチ素描集</a>』とか。
本の最初のページを開くその前に「よしこの本を読んでやる」と思って本を手に取ること自体はとても個人的な事柄であると考える。新刊書店であろうと古本屋であろうと図書館であろうと友達の本棚であろうと。そして最後のページを読み終えて本を閉じる時、その本が自分にとってとてもいい本だと思えた時、「買ってよかった」と思うのか「買えばよかった」と思うのか。
出版社の営業だから「本は買ってくれ」は当たり前です。商売だから。でもその過程には「やっぱり買っときゃ良かった」とか「買ってよかった」「やっぱ買うよ、この本」ってのもある。だからこそ、本は本屋に置いてもらいたい、書誌情報は確実に公開したい、ってこと。全てはつながってます。